医師
吉住 登 先生のメッセージ集を作成しました。
CDも合わせて制作しました。
では・・・
その一端をご紹介しましょう。
ご希望の方は、ご一報下さい。
無料で差し上げます。
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メッセージテーマ
「それは非常によかった」
創世記1章26節〜2章14節
神様は人間をご自身のかたちに造られた。
しかし、人間と同じように、神様に目や鼻があるということではない。
人間は造られたものであり、
「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」
(ガラテヤ書二章二〇節)
にあるようにあくまでも生かされているものである。
神様と人間は創造、文化、交わりを大切にすることにおいて似ている。
また、
知恵・感情・意志を持っていることにおいて似ている。
しかし、人間は罪のために知恵は屁理屈になり、
感情は怒りと憎しみになり、意志は物欲に変わってしまった。
この汚れた性質も、
「大事なのは新しい創造です」
(ガラテヤ書六章一五節)
とあるようにキリストによって新しく変えられる。
神様が「ありてあるもの」であるように、
人間は「我思う故に我あり」という存在ではなく、
「我あり、故に我思う」という存在である。
人間は物事を創造するために時間、仕事、境遇が与えられている。
境遇もいろいろな時があり、時には厳しいときもある。
アウシュビッツから生還したフランクルは
「どんな環境にあっても心は自由だ」と言い、
またパウロは
「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」
(ピリピ書四章十一節)と言っている。
我々クリスチャンは、どんな境遇にあっても満ち足りる術を知っている。
いわば人生の達人になる道が開かれている。
人生の達人になる具体的な方法はなく、
聖書にはその基準が示されている。
初めての人には、ある程度は導くことができるが、
具体的なことを書くと、律法的になってしまう。
しかし、聖書をよく読むと、一人一人が人生の達人になる道が、
この中に必ずある。
そして、実行することが大切である。
「生きたもの」をしっかりとつかむのである。
それは、キリストである。
「日本人のイエス・キリストは小さすぎる」
大きいキリストに出会い、大きいキリストをつかむと生活が大きく変わる。
天地創造のわざを終えて休まれた神様は、
眠ったのではない。
天地創造のわざを維持するわざが今もなお続いている。
七日目には「夕があり朝があった」がない。
このことばがないので。安息が完結してしまったものではなく、
私たちも安息に入る余裕があることを示している。
「こういうわけで、
神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、
あなたがたのうちのひとりでも、
万が一にもこれに入れないようなことのないように、
私たちは恐れる心を持とうではありませんか」
(ヘブル書四章一節)
とすすめられている。
神様の方で安息の用意がされている。
イエス様も休ませてくださる。
神様が祝福されるのは、いつも私たち人間が祝されるためである。
人間にはいのちの息が吹き入れられた。
人間だけが魂を持っている。
この様な人間、特に救いにあずかった私たちのあるべき姿は、
神様を讃美する、感謝する、日々罪の告白をすることである。
造られた者として神様に委ね、求め、聖書に聞いていくことが重要である。