箱根ラリック美術館
にある
オリエント急行
に乗車しました。
勿論
動きません!
ヨーロッパから実物を運んできて展示しています。
乗ってみると
なかなか良い気分でした。
列車内の豪華な内装は
ルネ・ラリックによってデザインされました。
ゆらめく柔らかな光と、幻想的なラリックの装飾。
この車両だけで、150枚以上のガラスパネルが室内に貼りめぐらされています。
車窓からの自然光や室内ランプなど、
昼夜の光を巧みにあやつり、空間に無限の広がりを与えています。
ラリックがこの列車の室内装飾を制作したのは、
1928年、68歳の時です。
乗車前にオリエント急行の歴史と
日本まで運んだ苦労話しの映画が上映されます。
オリエント急行の名の由来は、
終着駅イスタンブールをアジア(オリエント=東洋)への玄関と
見たててつけられたものです。
航空機に押されて一旦は幕を閉じましたが、
NIOE(ノスタルジィ・イスタンブール・オリエント・エクスプレス)が
1976年に、
VSOE(ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)が
1982年に運行を再開。
以来、
走行路線の別なく、オリエント急行の名で親しまれています
(NIOEは、その後運行を休止)。
アガサ・クリスティやマレーネ・ディートリッヒなどの
有名人や各界の著名人も満喫したほど、
オリエント急行の旅は人々に忘れえぬ思い出を残してくれているのです。
戦前 1983~1944年 |
第二次大戦後 1945~1962年 |
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。
強盗どもは、
その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、
彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、
その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、
あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、
彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、
自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、
彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。
「その人にあわれみをかけてやった人です。」
するとイエスは言われた。
「あなたも行って同じようにしなさい。」
ルカの福音書 10:30〜37