畑に今年も向日葵が咲きました 道行く人・近所の方々を楽しませています |
大輪の花 |
小さな種から大きな花が咲いて感激! |
こちらは切り花用の向日葵 |
イエスは、またほかのたとえを彼らに示して言われた。
「天国は、自分の畑に蒔いた一粒のからし種のようなものです。
最初はどんな種よりも小さいですが、
生長すると、
どの草よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
マタイ 13:31〜32
アフガニスタンを支援して25年目の報告会 活動の歴史をご紹介します 多くの方々に支えられ これからも平和が実現するまで 支援活動を継続しなければなりません |
支援のきっかけは1987年の旧ソ連軍のアフガン侵攻でした その時に 550万人が難民として国を出ました この難民数は 歴史上世界最大でした |
パキスタン:クエッタ市 劣悪な難民キャンプで 子どもたちが 次々に亡くなっていきました 子どもたちの命を救うために「燈台」が設立されたのは 1987年でした |
6年間に日本から送られる支援金によって 13万人の子どもたちの命を救いました |
翌年1988年に クリニックの庭で難民学校が始まりました 上の写真は テントの校舎 下:急激に子どもたちが増えて 大きな家を借りて 新しい校舎としました |
子どもたちの学習意欲は高く 民族に関係なく男女共学の教育方針が受け入れられて 生徒数は年々増大 毎年1200~1300人の子どもたちを教育しました 現在のアフガニスタン:ジャグリー校に引き継がれました |
旧ソ連軍の撤退後 今度は民族間の対立による内膳が続き 国は益々荒廃 イスラム原理主義者「タリバン」が 精力を拡大し 国土の90%を支配 女性に対する迫害や 極刑による公開裁判 バーミヤン世界遺産の破壊など 国際社会から非難を浴びていました |
1995年 アフガニスタンの首都カブールに マラリヤ・リシュマニアクリニックを開設しました 特に リーシュマニアは 人生を破壊する悲惨な病です クリニックタリバンによる閉鎖の圧力に屈せず 診察を続けました (医者が女性のため:アフガンは女性の患者は女医のみ診察できる) 「燈台」は アフガン女性の希望の光と言われました |
2001年9月11日 米国同時多発テロ その後 アメリカ軍がアフガニスタンのタリバンを攻撃 新たな難民が発生したため 新たな支援活動を開始 2011年10月から 6万ドルの緊急支援 ・アフガニスタンのカブール : 風土病治療 16,140人。公衆衛生対策 ・ パキスタンのペシャワール:26,542人への医療支援 を展開した |
2005年頃から 支援の軸足をアフガニスタンへ ジャグリー郡から広大な土地を提供されました 2006年に 中高一貫校校舎の建設に 取りかかりました 3年後の2009年に完成 その後 小学校を受け入れることを要請され 新校舎を建設し2011年に完成しました |
写真上:建設中の校舎 この間子どもたちはテントで学びました これまで 多数の生徒が大学に合格しました 現在 多くの卒業生が 国内の国連関連機関や教育機関で働いており 国づくりに貢献しています。 |
皆さまのご支援で運営されているNPOです ご協力いただければ 幸いです! 広報担当理事:星野 隆三 |