2012年7月13日金曜日

ライフデザイン:アフガニスタンを支援する

アフガニスタンを支援して25年目の報告会
活動の歴史をご紹介します
多くの方々に支えられ これからも平和が実現するまで
支援活動を継続しなければなりません

支援のきっかけは1987年の旧ソ連軍のアフガン侵攻でした
その時に 550万人が難民として国を出ました
この難民数は 歴史上世界最大でした

パキスタン:クエッタ市
劣悪な難民キャンプで 子どもたちが 次々に亡くなっていきました
子どもたちの命を救うために「燈台」が設立されたのは 1987年でした

6年間に日本から送られる支援金によって
13万人の子どもたちの命を救いました

翌年1988年に クリニックの庭で難民学校が始まりました
上の写真は テントの校舎
下:急激に子どもたちが増えて 大きな家を借りて 新しい校舎としました

子どもたちの学習意欲は高く 民族に関係なく男女共学の教育方針が受け入れられて
生徒数は年々増大
毎年1200~1300人の子どもたちを教育しました
現在のアフガニスタン:ジャグリー校に引き継がれました

旧ソ連軍の撤退後 今度は民族間の対立による内膳が続き 国は益々荒廃
イスラム原理主義者「タリバン」が 精力を拡大し 国土の90%を支配
女性に対する迫害や 極刑による公開裁判 バーミヤン世界遺産の破壊など
国際社会から非難を浴びていました

1995年 アフガニスタンの首都カブールに
マラリヤ・リシュマニアクリニックを開設しました
特に リーシュマニアは 人生を破壊する悲惨な病です

クリニックタリバンによる閉鎖の圧力に屈せず 診察を続けました
(医者が女性のため:アフガンは女性の患者は女医のみ診察できる)
「燈台」は アフガン女性の希望の光と言われました

2001年9月11日
米国同時多発テロ
その後 アメリカ軍がアフガニスタンのタリバンを攻撃
新たな難民が発生したため 新たな支援活動を開始
2011年10月から 6万ドルの緊急支援
・アフガニスタンのカブール : 風土病治療 16,140人。公衆衛生対策
 パキスタンのペシャワール:26,542人への医療支援
を展開した

2005年頃から 支援の軸足をアフガニスタンへ
ジャグリー郡から広大な土地を提供されました
2006年に 中高一貫校校舎の建設に 取りかかりました
3年後の2009年に完成
その後 小学校を受け入れることを要請され 新校舎を建設し2011年に完成しました

写真上:建設中の校舎 この間子どもたちはテントで学びました
これまで 多数の生徒が大学に合格しました
現在 多くの卒業生が 国内の国連関連機関や教育機関で働いており
国づくりに貢献しています。

皆さまのご支援で運営されているNPOです
ご協力いただければ 幸いです!
広報担当理事:星野 隆三



心の貧しさを知る謙そんな人は幸福です。 
天国はそういう人に与えられるからです。
悲しみ嘆いている人は幸福です。 
そういう人は慰められるからです。
柔和で高ぶらない人は幸福です。 
全世界はそういう人のものになるからです。
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸福です。
 そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
親切であわれみ深い人は幸福です。 
そういう人はあわれみを受けるからです。
心のきよい人は幸福です。 
そういう人は親しく神とお会いできるからです。
平和をつくり出そうとしている人は幸福です。
 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。
正しい者だというので迫害されている人は幸福です。 
天国はそういう人のものだからです。
イエスキリストのことば (マタイの福音書 5章:3〜10節) 


0 件のコメント:

コメントを投稿