神から最も謙遜な人と言われたモーセの生涯
モーセの名前は、旧約聖書の中で 日本人に最も知られた人物の一人でしょう。
映画「十戒」でチャールトン・ヘストンがモーセを演じました。
その生涯は 波乱と困難に満ちたものでした。
彼から学ぶことは 常に主(神)にどうしたらよいか・・・と問いながら歩んだことです。
そして 神からの智恵と力を得て 充実した人生を歩みました。
私たちも彼の生き方から いろいろ学ぶことは多いと思います。
エジプトの王女に助けられ 王子として育てられます |
エジプトから神の約束の地までの40年の旅 |
40歳でエジプトを逐われ ミデヤンの地に逃れた 80歳の時 神からイスラエルの民をエジプトから救い出す命令を受ける |
紅海を分ける奇跡 |
神から「十戒」をいただく |
神の約束の地に向けて 40年間荒野の旅をした |
イスラエルの民500万人以上を導き 120歳で亡くなった 120歳の時に死を迎えても 目はかすんでおらず 気力も衰えていなかった |
モーセの生涯〔現代訳聖書から〕
神様がアブラハムにお与えになった約束の時、
つまりエジプトでの奴隷状態から自由にされる時が近付くにつれて、
つまりエジプトでの奴隷状態から自由にされる時が近付くにつれて、
イスラエルの民はエジプト中に増え広がり、
ヨセフのことを知らない新しい王朝になるまで続きました。
この王は、イスラエル民族に対して策略を巡らして虐待し、その幼子たちを捨てさせる政策を取りました。
モーセが生れたのは、ちょうどその時でした。
モーセは神の御心にかなった愛らしい子で、三か月の間、自分の家に隠されていましたが、
それから捨てられたのを、エジプトの王女が拾い上げて、自分の養子として育てました。
ですから、モーセはエジプトの最高の学問を身に着け、有力な指導者となっていきました。
四十歳近くになった時、
モーセは自分の同胞であるイスラエルの民のことを考えるようになりました。
イスラエルの民の一人がエジプト人にいじめられているのを見て、その人をかばい、
エジプト人を打ち倒して、苦しめられている人の仕返しをしました。
彼は、神様が自分を遣わしてイスラエルの民を救おうとしておられることを、
みんなが理解してくれるものと思っていましたが、だれも理解しませんでした。
翌日、イスラエル人同士が争っていると、彼はそこへ行って、仲直りをさせようとして、
『君たちは同族同士なのに、どうしてお互いに傷つけ合っているのか』と言いますと、
相手を傷つけていた男が、モーセを押しのけて、こう言いました。
『一体だれがあんたをわれわれの指導者にしたって言うんだね。
昨日エジプト人を殺したように、おれたちをも殺そうというのか。』
この言葉を聞いて、モーセはミデアンの荒野へ逃げて行き、
そこで寄留者となり、結婚して二人の男の子を設けました。
それから四十年たつと、
御使いがシナイ山の荒野で、柴が燃えながら燃え尽きない不思議な光景の中で、モーセに現れました。
その光景を見たモーセは、驚いて、それをもっとよく見ようとして近寄った時、そこで主の御声を聞きました。
『わたしは、あなたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神です。』
そのため、モーセは恐れおののいて、それを見る勇気も無くなってしまいました。
すると、主は彼にこう仰せられました。
『靴を脱ぎなさい。あなたが今立っている所は聖い地です。
わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民が虐待されているのを見ましたし、
そのうめき声も聞いたので、彼らを救い出すために降って来たのです。
さあ、行きなさい。わたしは、あなたをエジプトに遣わします。』
イスラエルの民は、『一体だれがあんたをわれわれの指導者にしたって言うのか』と言って拒んだのに、
神様は、柴の炎の中でモーセに現れた御使いの手によって、イスラエルのこのモーセが、
イスラエルの民をエジプトの地から導き出し、四十年の間、驚くべき奇蹟を行ったその人です。
またこの人が、イスラエルの民に、
『神様は、あなたがたのために、私のような預言者を、あなたがたイスラエルの中からお立てになる』
と言ったモーセです。
このモーセは、シナイ山で、律法を授かり、それをイスラエルの民に与えた人です。
ところが、私たちの先祖たちは、彼に従おうとはしないで、彼を退け、心の中でエジプトに引かれて、
『私たちを導き返してくれる偶像を造ってください。
エジプトの地からここまで導いて来てくれたあのモーセは、
もうどうなってしまったのか分りません』とアロンに言いました。
そのころ、彼らは金の子牛を造り、その偶像に供え物をささげ、それを楽しんでいました。
そこで、神様は彼らに背を向けてしまわれ、彼らが天体礼拝をするままにさせてしまわれました。
それは、旧約聖書のアモスの預言に記されている通りです。
『イスラエルの人々。あなたがたは、荒野にいた四十年間、
いけにえの供え物を、わたしにささげたことがあったか。
いけにえの供え物を、わたしにささげたことがあったか。
あなたがたは、異教の神々を担ぎ回っていた。
それらは、あなたがたが拝むために造った偶像ではないか。
だから、わたしはあなたがたを、バビロンの彼方へ移してしまう。』
私たちの先祖たちが荒野をさ迷っている時は、
持ち運びのできる神殿、つまり会見の天幕がありました。
持ち運びのできる神殿、つまり会見の天幕がありました。
その中に、石で刻んだ十戒が納められていました。
この会見の天幕は、モーセが御使いによって示された通りに造ったものでした。
私たちの先祖たちは、この会見の天幕をついにヨシュアの時代になって、
約束の地カナンにいる異邦人を追い払い、
約束の地カナンにいる異邦人を追い払い、
そこに持って来ました。
そして、ダビデ王の時代にまで至りました。
そして、ダビデ王の時代にまで至りました。
《初代教会の働き 7:31〜45》
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