新たな光が右近にあたります!
右近は
35歳から63歳までの28年間を
北陸 金沢で過ごしました。
前田家にいのちを守られ、
金沢城の修復など建築家の才を発揮したばかりでなく
金沢城の修復など建築家の才を発揮したばかりでなく
京都や大阪でキリスト教宣教の活動も続けました。
北陸新幹線が開業したのですから
右近がこれから もっと話題になってほしいものです。
利休7哲のひとりで、茶人としても知られ
ゆるぎない信仰と聖さを追求した人生を送りました。
1615年 フィリピンへ流刑となり
マニラで大歓迎を受けましたが・・・
長旅の疲れもあってか 3ヶ月後にその激動の人生を閉じました。
《CHRISTIAN TODAY メールマガジン2016/1/23号より転載》
教皇フランシスコは21日、
教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿と会見し、
同省から提出されていた11件の文書に承認のサインをした。
その中の1件は400年前の
日本のキリシタン大名ユスト高山右近の殉教を承認するもので、
バチカン放送局は22日、
「これで日本カトリック教会の長年の悲願であったキリシタン大名、
高山右近の「列福」に決定的な一歩が記された」と報じた。
「ユスト高山右近(1552~1615年)は、
織田信長・豊臣秀吉に仕えた代表的な戦国大名として広く知られている。
激動する時代の波に翻弄され続けたかに見えるその生涯、
しかし、右近自身は、
確固とした信仰者へと成長し、それを生き抜いた人であった。
右近は、
織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名で、
キリスト教を禁教とした江戸幕府から国外追放され、
フィリピン・マニラで病死した」と、同放送局は説明した。
「秀吉からの棄教命令を拒否して大名としての地位や領地を失い、
徳川家康によるキリシタン国外追放令により母国を追われたが、
信仰を捨てなかった確固とした信仰の人であった」
同放送局によると、
12歳で洗礼を受けた右近は、
生涯を通じてキリスト教に強く帰依していた武将として知られる。
高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされるほか、
秀吉の側近、黒田官兵衛(孝高)などに入信を勧めるなど、
布教活動にも熱心だったという。
「高山右近は、福音を日本に根付かせたいとの大きな夢に生涯をかけた。
400年の時を越え、右近の熱い思いは、
今を生きる日本のカトリック教会の行く手を示し、
勇気を与え続けている」と、
同放送局は報じた。
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