NPO『燈台』
2019年6月22日
最後の「現地活動報告会&チャリティーコンサート」
1987年から33年間続けてきたアフガン支援
2020年3月末で終了です。
これまでの日本の皆さまへの支援に対して
感謝の報告会となりました。
活動報告
と
ユーオーディア・アンサンブルのコンサート
がありました
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石黒早苗理事長の挨拶 |
ユーオーディア・アンサンブル
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『燈台』の活動の歴史を振り返ってみましょう
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日本とアフガニスタンの距離は6,500km
およそハワイまでの距離です |
1930−1970年代まで
アフガニスタンは平和な国で
西洋化が進み 人々の生活は安定していました。
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カブール大学の卒業式 |
ところが・・・
1979年12月24日
旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきました
そして当時
世界最大の難民550万人が国を出たのです。
1987年の難民キャンプ
(パキスタン国クエッタ市)
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私が訪問したときの難民キャンプの写真 |
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クエッタの難民の子どもたち |
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奥に子どものお墓がたくさんありました |
当時、
パキスタンのクエッタ市の難民キャンプ
を訪ねたN夫妻が 子どもの墓がたくさんあるのを知って、
小児科のクリニックを開設することを願いました。
ところが
パキスタン政府は日本の医療機関の保証を求めました。
そこで
N夫妻の知り合いだった埼玉県北本市の南福音診療所が
その保証を引き受けることになりました。
同時に
N夫妻の知人クリスチャン12人(私を含め)の理事を迎え
その活動を支援する『燈台理事会』が立ち上がりました
1987年のことでした。
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南福音診療所 |
1987年クリニック開院
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受付で診察を待つ患者たち |
多くの子どもは下痢による脱水症で亡くなります
左下の子は翌日亡くなりましたが
この写真を残し
医療の必要性を訴えてくれました。
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6年間で13万人の子どもを無料で治療
1993年にパキスタン政府から閉鎖を命じられる |
1988年 難民学校 開校
ヌール スクール
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クリニックの庭にテントを張って |
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熱心に学ぶ子どもたち
一冊の教科書からコピーを取って学ぶ |
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数年後大きな校舎に移る
小学生からはじまったクラスは高校生まで拡大 |
イスラムの学校とは違い
日本式に英語・算数・理科・社会などを教える
授業終了後は子どもたちが自分たちで教室を清掃する
1992年 旧ソ連軍 撤退
その後 部族間の闘争で内乱状態に
1995年
アフガニスタンの首都カブールへ
風土病:マラリヤ・リーシュマニアの治療
受付を待つ患者たち
サシバエ(蚊)によって伝染する
21回の連続注射で治癒するが
薬の高騰と入手が困難
破壊されたカブールの街
タリバンが
全土の80%を掌握
2001・9・11
新たな難民キャンプ
がアメリカの空爆によって
アフガニスタンやパキスタンに生まれました
『燈台』の緊急支援活動
2005・4
パキスタンからアフガニスタンへ
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小中高校の校舎全景 |
生徒から感謝の挨拶
33年間の支援活動の記録
あなたも行って同じようにしなさい!
聖書
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『燈台』ホームページ
6月22日の 最後の「現地活動報告会」の動画を ぜひご覧ください!