2019年8月8日木曜日

ライフデザイン:燈台現地活動報告会

NPO『燈台』
2019年6月22日
最後の「現地活動報告会&チャリティーコンサート」

1987年から33年間続けてきたアフガン支援
2020年3月末で終了です。

これまでの日本の皆さまへの支援に対して
感謝の報告会となりました。






活動報告
ユーオーディア・アンサンブルのコンサート
がありました

石黒早苗理事長の挨拶

ユーオーディア・アンサンブル




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『燈台』の活動の歴史を振り返ってみましょう


日本とアフガニスタンの距離は6,500km
およそハワイまでの距離です


 1930−1970年代まで
アフガニスタンは平和な国で
西洋化が進み 人々の生活は安定していました。



カブール大学の卒業式


ところが・・・
1979年12月24日
旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきました
そして当時
世界最大の難民550万人が国を出たのです。





1987年の難民キャンプ
(パキスタン国クエッタ市)

私が訪問したときの難民キャンプの写真
クエッタの難民の子どもたち
奥に子どものお墓がたくさんありました


当時、
パキスタンのクエッタ市の難民キャンプ
を訪ねたN夫妻が 子どもの墓がたくさんあるのを知って、
小児科のクリニックを開設することを願いました。
ところが
パキスタン政府は日本の医療機関の保証を求めました。
そこで
N夫妻の知り合いだった埼玉県北本市の南福音診療所が
その保証を引き受けることになりました。
同時に
N夫妻の知人クリスチャン12人(私を含め)の理事を迎え
その活動を支援する『燈台理事会』が立ち上がりました
1987年のことでした。


南福音診療所




1987年クリニック開院
受付で診察を待つ患者たち





多くの子どもは下痢による脱水症で亡くなります
左下の子は翌日亡くなりましたが
この写真を残し
医療の必要性を訴えてくれました。


6年間で13万人の子どもを無料で治療
1993年にパキスタン政府から閉鎖を命じられる





1988年 難民学校 開校
ヌール スクール

クリニックの庭にテントを張って

熱心に学ぶ子どもたち
一冊の教科書からコピーを取って学ぶ

数年後大きな校舎に移る
小学生からはじまったクラスは高校生まで拡大




イスラムの学校とは違い
日本式に英語・算数・理科・社会などを教える
授業終了後は子どもたちが自分たちで教室を清掃する








1992年 旧ソ連軍 撤退
その後 部族間の闘争で内乱状態に




1995年
アフガニスタンの首都カブールへ





爆弾で穴の空いた屋根を修理して
クリニックを開院


風土病:マラリヤ・リーシュマニアの治療
受付を待つ患者たち




サシバエ(蚊)によって伝染する
21回の連続注射で治癒するが
薬の高騰と入手が困難


破壊されたカブールの街






タリバンが
全土の80%を掌握







2001・9・11



 新たな難民キャンプ
がアメリカの空爆によって
アフガニスタンやパキスタンに生まれました





『燈台』の緊急支援活動














2005・4
パキスタンからアフガニスタン
















小中高校の校舎全景

生徒から感謝の挨拶






33年間の支援活動の記録





あなたも行って同じようにしなさい!
聖書

***************************************************************


『燈台』ホームページ

6月22日の 最後の「現地活動報告会」の動画を ぜひご覧ください!


0 件のコメント:

コメントを投稿