昨年2019年は
一貫して死後の世界=天国を探求しました。
関係書(この文の後ろに記します)をたくさん調べました。
その中で「ヨハネの黙示録」が
このテーマに最高の書であること
を再認識しました。
新約聖書の最後にあるのが「ヨハネの黙示録」です
使徒ヨハネ
が晩年に流刑されたパトモス島で
神の啓示により書き記した書。
ヨハネはパトモス島に3年間?幽閉され その後、救い出されて エペソで2年ほど宣教を続け 殉教することなくAD105年に99歳?で 召天したと言われています |
「ヨハネの黙示録」を原語(ギリシャ語)から解釈すると
「イエス・キリストの啓示」
が適切だろう、ということを銘形秀則牧師は説いています。
「ヨハネの黙示録」という表題は
2世紀頃から使われていたという説がありますが
「イエス・キリストの啓示」
という方が納得できますね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
聖書
最初は
天地の創造 つぎに 万物の創造
が記録されています。
《旧約聖書:創世記 1章》
神が天と地を創造した。
そして 人間の創造
《旧約聖書:創世記 2章》
神である主は、
その大地のちりで人を形造り、
その鼻に息を吹き込まれた。
神が天と地を創造した。
天地創造:ミケランジェロ作 |
《旧約聖書:創世記 2章》
神である主は、
その大地のちりで人を形造り、
その鼻に息を吹き込まれた。
この世の終末と来たるべき未来に
については
ヨハネの黙示録に
新天新地(天国)が
ヨハネの黙示録に
新天新地(天国)が
明快に記録されています。
新しいエルサレム(イメージ) |
黙示録 21章1-4節
また私は、新しい天と新しい地とを見た。
以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、
聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために飾られた花嫁のように整えられて、
神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
そのとき私は、
御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。
神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。
また、
神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
従って
「ヨハネの黙示録」は
終末の預言の書であり・・・
審判の書でもあり・・・
そして
天国という
私たちに希望を与える書でもあるのです。
ここでは
黙示録後半の17〜20章には
キリストの昇天後
様々な試練が訪れる「患難の時代」
⇒神が支配する平和な「千年王国」
⇒「白い御座の裁き」へと続き
最後に「サタンの死」が実現して・・・
その後
新天新地(天国)が明らかになります。
終末の預言の書であり・・・
審判の書でもあり・・・
そして
天国という
私たちに希望を与える書でもあるのです。
ここでは
黙示録後半の17〜20章には
キリストの昇天後
様々な試練が訪れる「患難の時代」
⇒神が支配する平和な「千年王国」
⇒「白い御座の裁き」へと続き
最後に「サタンの死」が実現して・・・
その後
「ヨハネの黙示録」を
図に表すと下記のようになります。
天国への道
天国と地獄 |
以下の聖書のみことばが、私たちを天国へと導きます
テサロニケ第1の手紙 4:13〜14
眠っている人たちについては
兄弟たち
あなたがたに知らずにいてほしくありません。
あなたがたが
望みのない他の人々のように
悲しまないためです。
イエスが死んで復活された
と
私たちが信じているなら
神はまた同じように
イエスにあって眠った人たちを
イエスとともに連れて来られるはずです。
コリント人への手紙 第1 15章51〜57節
聞きなさい。
私はあなたがたに奥義を告げましょう。
私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
終わりのラッパとともに、
たちまち、一瞬のうちに変えられます。
ラッパが鳴ると、
死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
この朽ちるべきものが、
朽ちないものを必ず着ることになり、
この死ぬべきものが、
死なないものを必ず着ることになるからです。
そして、
この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、
この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
このように記されたみことばが実現します。
「死は勝利に呑み込まれた」
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、
神に感謝します。
神は、
黙示録 20章11-15節
また私は、
大きな白い御座と、
そこに着いておられる方を見た。
地も天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
大きな白い御座と、
そこに着いておられる方を見た。
地も天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
また私は、
死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。
数々の書物が開かれた。
書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。
死んだ者たちは、
これらの書物に書かれているとことにしたがい、
自分の行いに応じてさばかれた。
死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。
数々の書物が開かれた。
書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。
死んだ者たちは、
これらの書物に書かれているとことにしたがい、
自分の行いに応じてさばかれた。
ヘブル書 2章14-15節
このように神の子供たちは皆、
人間として肉体を持っているので、
イエスもまた同じように肉体を取られた。
それは、
人間として死ぬことにより、死の力を持っている悪魔の力を滅ぼし、
一生涯、
死の恐怖に取り付かれている人々を解放するためである。
イエス・キリストは
十字架による犠牲と復活により
死を克服したのです。
そして・・・
主(天地創造の神)を心に受け容れる者を
イエスは
天国へと引き上げてくださるのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
参考図書
(含むDVD)
アーノルド・フルテンバウム博士の講演
博士はメシアニック・ジュー(ユダヤ教からキリスト教に改宗した人たち)のリーダーとして世界的に知られています。
「聖書が教える死後の世界」
は
旧約聖書と新約聖書から
死後の世界が
専門用語をかみ砕きながら
丁寧に克明に16枚のDVD(1枚約80分)で語られます。
聖書には死者の行く場所が示されている |
大艱難時代の詳細 |
天国の歴史
天国像の変遷をつづるヨーロッパの「宗教史」「風俗史」「思想史」「社会史」
古代ユダヤ教から中世そして現代までの
神学・哲学・文学・芸術・説教・歴史学など各分野に登場した
天上のイメージ・イエスのイメージ
懸命に探して見つけた書籍
1300年頃の天体のイメージ |
死後のことについて本当の事を知りたい
93歳の現在も牧師として活躍している
尾山 令仁師の著書
知りたいことが分かりやすく書かれています。
死後の世界について様々な疑問
とても信頼できて納得できる説明です。
神の国とキリスト教
1926年生まれの著者は
自由学園卒業後
アメリカに渡りプリンストン神学校に学び神学博士に。
国際基督教大学協会牧師・宗教部長
東京女子大学宗教顧問・聖学院教授等を歴任。
「神の国」に関心を持って日本伝道に関わる。
本書は日本伝道論の集大成
天国で神様に会う前に済ませておくとよい8つのこと
「傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことなく、真実をもって道を示す」イザヤ書42:3
を理念に沖縄で活動する体と心と魂を癒すオリーブ山病院の
理事長であり牧師の著書です。
人生に老いの下り坂はない!
登り行くのだ。
いつか人生の頂上に立とう
その時に
イエス様に 褒められるように!
天界と地獄
ネットで探し出した貴重本
スエデンボルグ師が1758年に70歳の時に著作した名書
内容は3部に分かれています
(1)天界 (2)霊たちの世界と人間の死後の状態 (3)地獄
その中から興味深い一項目を取り上げてみましょう。
『天界に入る生活を送ることは
一般に信じられているほど困難なことではない』
・・・・・・
一般的に、肉の欲を捨て世を棄てて霊に生きなければならない
と教えられているが、
私は多くの経験と天使たちと語り合ったことから
全くそのようなものではなく
肉の欲を捨て世を棄て霊に生きようとする者は
もの悲しい生命を身につけて
その生命は天界の喜びを受け入れないことを知ったのである。
しかし
人間は天界の生命を受けるためには・・・
ぜひ世に住んで業務と職業に従事し、かくして道徳的な社会的な生活によって
霊的生活を受けなければならない。
(と述べています)
天国への道
インターネットで見つけた貴重本。
17世紀前半から20世紀半ばまでのフランスの民衆文化
を反映したキリスト教文化の図絵。
聖職者(イエズス会士)たちが
神の教えを分からせるため用いたと考えられる。
チベット『五趣生死輪図』 |
『五趣生死輪図』は
五輪の車輪形の中に、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の
五道の相を描いています。
『バビロン図』は
フランスの文化館に保存されていたもの。
この両者には
図柄の共通点が感じられます。
つまり
チベットから日本に伝わった図が、来日した宣教師たちの目にとまり
聖書の内容を絵柄に描いて宣教に役立てた
という仮説が成り立つという。
興味深い研究書です。
右下:有力者たちが名誉欲を満たそうと天上をめざす
左側した:一般の人が善行を重ねながら天上をめざす
その途上で『聖書』を読むことによって
愛徳や信仰心や隣人愛を知る。
が、
地獄に落ちる者も出てくる。
『誘惑・天国・地獄』 1920年代 |
『キリスト教徒の生活』 「徳」 1930年代 |
『二つの道』 1936年 |
死の備え
人は誰にも必ずやって来る「死」を恐れます。
むしろ、そのために死に対して無関心になりがちです。
著者自身は
長い間、死を恐れていたので
様々な学びをし海外の書物も研究しました。
しかし結果として
聖書を土台として「死」を解きほぐすことによって
信者のみならず全ての人に受け入れられるものとして
この本が出版されました。
死に対する備え
聖書の賢者の言葉によれば・・・
神に感謝する、主の栄光に貢献する、患難に心を奪われない
来たるべき生活のために
今を静かに平安に生きる!
死後の世界
第1段階:この世での肉体をもった生活
第2段階:中間状態で死んでから復活するまでの肉体のない生活
第3段階:復活したからだでの生活で永遠に続く状態
キリストを神と信じる人間は
死ぬときにあったままの状態で、永遠に存在し続けるのです。
(その他詳細が書かれています)
小羊の王国
黙示録について現代社会との共通性
危機的状況の現代を理解するためにも書かれています。
黙示録は
当時のローマ帝国を象徴すると同時にその闇と滅亡を預言しています。
① 3つの闇の力(幻)
海からの獣(政治&軍事)・にせ預言者(宗教&情報)・大バビロン(経済&富)
② 闇を克服する道
小羊(非暴力)・二人の証人(真理の証言)・新しいエルサレム(曳船の価値)
そして
現代から終末に至る国家の実相を明らかにしているのです。
天国と極楽
「小羊の王国」の著者が
キリスト教徒仏教の死生観の違いを論じています。
仏教の「極楽浄土」は
修行して悟りを開くところで、その悟りとは空無思想であり、
空無を悟るために
座禅と念仏というふたつの道があるのです。
また空無思想と輪廻説は矛盾するようですが
本来は全く別物だったのを、後世無理に繋げたのだ、と
著者は解いています。
キリスト教の「天国」は
歴史の究極であり、存在の究極です。
つまり
地上の現実は、移ろいゆく影のようなものであり
むしろ天国こそが不変の実在なのです。
天国が不滅なのは、
天国は「神の国」であり、その神が不滅だからです。
その神を信じる者は、「必ずや天国に行く」という約束があるのです。
これは何と幸いなことでしょう!
仏教の仏とキリスト教の神
同じような内容の本です
黙示録の封印を解く
チャック・スミス牧師が牧会するカルバリーチャペルは
1990年代にアメリカで教会員数が、全米1位だと言われました。
黙示録は
秘伝の書ではないし、不可解でもなければ、さほど難解な書でもない
とチャック牧師は言います。
実際、終末の時代にこの時代に起こるべき事を
明快に示すために書かれた書だと言います。
今終わりの時が近づいているので・・・
今こそ、神が地球上に何をされようとしておられるかを知るために
黙示録が重要なのです。
また黙示録は
巨大な建造物の除幕式に例える事ができます
この書が、宇宙的な規模で展開するドラマを明らかにし・・・
覆いを取り除き
私たちに、未来の明確な理解を与えてくれるのです。
ヨハネの黙示録講解
蓮沼キリスト教会の村瀬俊夫牧師の1953~2003年の黙示録30回のメッセージをまとめた本で
「愛と希望のメッセージ集」です。
すぐに起こるはずのこと
ドイツ人宣教師:ゴットホルド・ベック師による
4巻にわたる「ヨハネの黙示録」のメッセージです。
《ゴットホルド・ベック第1巻の巻頭言より》
「ヨハネの黙示録」は
初代教会の人々の間で何よりも大切にされました。
しかし黙示録の文章は
現代の私たちには難解なところがあり
誤解も多く
霊的に正しく読み解くことは
かなり困難になっています。
しかし
この黙示録の中にこそ
末の世にある私たちにとって
何よりも必要なことが示されているのです。
私たちはこの黙示録にもっと注意を向け
深く深く読み込むべきではないでしょうか。
私は頑張らなくていい。
イエス様にお任せします!
「私のところに来なさい」
すべてのことが・・・
神から発し、神によって成り
神に至るのです。
ローマ11:36
私は
新しい天と地を見た。
以前の天と以前の地は過ぎ去り
もはや海もない。
私はまた
聖なる都 新しいエルサレムが
夫のために飾られた花嫁のように整えられて
神のみもとから
天から降って来るのを見た。
《ヨハネの黙示録21:1-2》
キリスト教の天国
初代キリスト教会のときから
クリスチャンにとって
「天国」
は関心事であり
信仰の支えであり、希望でもありました。
そこで
様々な分野で「天国」をテーマに芸術作品が生まれてきました。
その一端をご紹介しましょう
中世のヨーロッパで
修道僧たちのなかで信仰文学が発達しました。
天国の永遠の至福が
この世の束の間の喜びに対比されました。
ベルナルドゥス(1100-1150年頃)の詩をご紹介します。
《約束の地》
乳と密に恵まれた
金のエルサレムよ
抑圧された心と声は
あなたの思いにふけります。
私は、知らない。ああ、知りはしない。
どれほどの喜びがそこに私たちを待っているか。
どれほどの輝く栄光と
たとえようもないほどの喜びが待っているかを。
建っているシオンの殿堂は
みな、喜びに満ちて歌い
大勢の天使たちで輝いている。
すべての聖徒で満ちあふれ
王はいつも彼らと共にいる。
日の光はうららかにさし
祝福された者たちの牧場は
栄光の輝きで飾られている。
ダビデの王座があり、
心配から解き放たれて、
そこには、勝利した者たちの叫びがあり、
祝宴の歌声がある。
彼らを率いる方と共に
戦いに勝ったあの人たちは
いつまでもいつまでも
白い衣をまとっているのだ。
ああ、甘美な祝福された国よ、
神に選ばれたふるさと!
ああ、甘美な祝福された国よ、
心から切望して待ち望む国!
イエスよ、父なる神と聖霊と共にいて
とこしえに祝福された方よ。
私たちを憐れんで
あのやすらいの地に連れて行って下さい。
見よ
わたし(イエス)はすぐに来る。
それぞれの行いに応じて報いるために
わたしは報いを携えてくる。
わたしは
アルファであり オメガである
最初であり 最後である
初めであり 終わりである。
・・・
これらのことを証しする方が言われる
「しかり わたしはすぐに来る。」
アーメン
主よ 来てください。
主イエスの恵みが
すべての者とともにありますように。
《ヨハネの黙示録 22章》