日本初の和暦作りに挑戦した
安井算哲(後の渋川春海)を描いた小説(冲方 丁『天地明察』)
を映画化した
「天地明察」
をNHKテレビで観て感動!
それは
真理に挑戦する心
そして
何者にも挫けない勇気
そして
天命を全うした人生!
舞台は江戸時代前期。
当時、中国の宣明暦(せんみょうれき)を
800年以上にわたり使用し続けた日本では、
暦に2日の誤差が生じていた。
しかし、
暦は帝より勅命を受けた陰陽師が代々司る神聖なもの。
さらに朝廷の巨大な利権がからんでいるため、
幕府も迂闊には手を出せない。
そこで、
時の4代将軍家綱の後見人である会津藩主・保科正之は、
あからさまな幕府主導とならない改暦を試みる。
その手始めとして、
日本各地で北極星を観測し
その土地の緯度を計測する「北極出地」を、
天文学・数学・暦学に通じている碁打ち衆の安井算哲に命じる。
この測量の旅で才覚を認められた算哲は、
改暦事業の責任者として異例の大抜擢を受ける。
しかし、
改暦への道のりは苦悩と挫折の連続だった……。
Wikipediaより転載 |
私が最も興味を持ったポイントは・・・
算哲が
作りつつあった和暦と中国暦との違いを
もう一歩解明できなかったときに
水戸光圀から地球儀を見せられる。
その時、
算哲は、日本と中国との時差を発見する。
その事に気づいて、彼は和暦を完成させたのだ。
あらすじ
《映画の予告編から》
《追加の情報》
ユネスコ無形文化遺産でもある
中国暦
太陰太陽暦で、
現代日本のグレゴリオ暦との違いで
有名なものに正月があります。
中国で盛大に祝われる正月は旧正月とも呼ばれ、
1月後半~2月となります。
中国暦は夏暦、農暦、陰暦などの
複数の伝統的な歴法を総合して中国暦としています。
中国暦は太陰太陽暦を基準にしており、
一月の長さを29.3日と仮定し
一年における月の配列を太陽の運行を基準に定めました。
私は声をあげて主を呼び求める。
すると
主はその聖なる山から私に答えてくださる。
詩編3:4
はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、
神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。
夕があり、朝があった。第一日。
神は仰せられた。
「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。
すると、そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
創世記第1章
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