2011年12月31日土曜日

ライフデザイン:ニーバーの祈り

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あなたは、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr:1892~1971)を知っていますか?
特に「冷静を求める祈り」は有名だ、と知人から紹介されました。
私はこの祈りと、これほどの偉大な人物を、今まで知りませんでした。

この祈りは、1943年の夏に最初に用いられました。
そして、その後さまざまな人々がこの祈りに希望を見出した、
と言われています。

ドイツ系アメリカ人。牧師の子として生まれる。1914年イェール大学卒業後、デトロイト市で牧師として奉職。その後1928年から、ニューヨークユニオン神学校で教鞭をとる。1955年から1960年にかけては副学長を務めた。1946年以降、トルーマン政権の非公式機関のメンバーとして政治的影響力を発揮した。(Wikipedia)


ニーバーについて詳しく書かれた書籍を購入しました。
これを読みかけているので、多くを説明できませんが、
その一部をご紹介しましょう。

著者は、ニーバーのことをこのように紹介しています。
「彼は、高邁な(志などがたかく、衆にぬきんでていること)精神と広い心を持った、
尊大さや虚飾のない人であった。
また、思想や人物に旺盛な好奇心を向け、熱意と批判精神を備え、深い信仰に加えて実践的な智恵に満ちていた。
そして、何よりも、たくましい自我を有する、人の心を引きつける謙遜な人であった。」と

このような人物が、1950〜60年代、アメリカの良心として、教育界・宗教界・政治の世界で活躍したことでした。


教会での彼のメッセージをご紹介しましょう。

今、私たちが知っている神についての知識は、ちょうど鏡にぼんやり映っているようなものでしかないが、やがてこの世の終りの時が来ると、すべては顔と顔と合せて見るように、はっきり分るようになる。その時には、神が今、私たちをご存じであるのと同じように、私たちもすべてのことをはっきりと知ることができるようになる。
                                   --------第1コリント13章12節から--------

1948年に出版された書物の中にある祈り。








ライフデザイン:リタイアの生き方(9)

献身・転身

 「全てが不思議な導きでした」。
4年前から、夫婦とも牧師として自宅で教会を始められたKご夫妻の体験談は、
たいへん興味深いものでした。
ご主人は定年前、
息子さんとお嬢さんが献身(キリスト宣教のための働きをすること)を決意し、
奥様が教会の奉仕から自然に神学校の学びへと導かれていくなかで、
退職後どうするか決断が迫られました。

結果的に・・・
工学から神学にシフトする、夫婦一緒に献身する、信仰にあって自由な生き方をすると決断。
退職後は迷いなく神学校へ。
若者との寮生活も体験。卒業してから、海外の神学校で学んで来られた奥様と教会を始められたという訳です。

ずいぶん大きな転身ですが、そこに無理はありません。
「第1の人生はし尽くしました。また神様の召しが何かを祈り続けてきました。そうしたら一歩ずつ神様に導かれて来ました」とKさん。
ご夫婦は、結婚当初から良く祈り話し合ってきました。
その結果が、キリストにしっかりと結び合わされた今の二人なのだと思わされ、私は幸せな気持ちになりました。



 「もともとお年寄りが好きでした」。
製造業の海外営業を40数年、
猛烈社員として突っ走ってきたFさんは、63歳でリタイア。
退職後はテニス三昧の日々を過ごしていました。

その間、教会で社会奉仕活動の事例研究会があり、体験したことのない世界に触れる機会がありました。
また恩師から「これからは人のために生きてみませんか」と言われたことで、自分の人生を振り返っていた折、声を掛けられたのが創立28年を迎えた特別養護老人ホーム施設長の役目でした。

全く新しい世界に飛び込んで・・・
福祉や保険の仕組みを理解することや総勢百名の利用者や職員との対応など、
戸惑うことばかり。
勤めた4年間、「楽しく・明るく・毎日笑顔」をモットーに、
人材育成や環境整備に心がけたと言います。

介護の仕事は「自分たちの利益追求」ではなく、「利用者への満足提供」であり、
毎日お年寄りと世間話しをしたり身の上話しを聞いたりして過ごすことでしたが「実際は自分の方が癒されました」とFさん。

喜べないこともありましたが、
流れに逆らわず、
与えられた事に素直に挑戦していくFさんの生き方に、
私は深い感銘を受けました。



いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
(1テサロニケ 5:16-18)

ライフデザイン:天からのプレゼント


今年の最後の畑作業。
無いと思っていたら・・・なんとジャガイモが。
天の恵みですね。


生きている限り、
主の恵みといつくしみが、私についてきます。
やがて、私は主の家に着き、
いつまでもおそばで暮らすことでしょう。
詩篇 23:6 

2011年12月21日水曜日

国家間のコミュニケーション

対韓国 対中国 外交を学ぶ

私自身が韓国や中国に行ったとき、
心に引っかかる事の一つに「戦争責任」があります。
日本政府(日本人)は、謝罪したし賠償も果たした。
と言い続けていますが、
韓国や中国は未だに納得していません。
しかも、毎年のように領土問題や慰安婦問題で、日本は苦境に立たされます。
これはどうしたことか・・・
その答えのヒントを得られる文を見つけました。
その部分を抜粋してご紹介します。
より詳しくは、下記の本をご購入ください。

著者は日本に住んでいる韓国人評論家/大学教授
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☆ ☆ Merry Christmas to you ! ☆ ☆

アッシジ大聖堂 天井画

クリスマスおめでとうございます。
神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、
その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。 
そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。
新約聖書:第1ヨハネ 4章9節



ーーー聖書からクリスマス物語ーーー

ベツレヘムにいる間に、
マリヤは初めての子を産みました。男の子でした。 彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。 宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。
その夜、町はずれの野原では、羊飼いが数人、羊の番をしていました。
そこへ突然、御使い(天使)が現われ、主の栄光がさっとあたり一面を照らしたのです。 これを見た 羊飼いたちは恐ろしさのあまり震え上がりました。
御使いが言いました。 「こわがることはありません。 これまで聞いたこともない、すばらしい出来事を知らせてあげましょう。 すべての人への、うれしい知らせです。
今夜ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。 
この方こそ主キリストです。

布にくるまれ、飼葉おけに寝かされている赤ん坊、それが、目じるしです。」
するとたちまち、天の軍勢が現われ、御使いといっしょに神をほめたたえました。
「天では、神様に栄光があるように。
地上では、平和が、神様に喜ばれる人々にあるように。」

 御使いの大軍が天に帰ると、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こうぜ。 主が知らせてくださった、すばらしい出来事を見てこようじゃないか!」と言い合いました。
 羊飼いたちは息せき切って町まで駆けて行き、ようやくヨセフマリヤとを捜しあてました。 飼葉おけには、赤ん坊が寝ています。
 何もかも御使いの言ったとおりです。 羊飼いたちはこのことを大ぜいの人に話して聞かせました。
 それを聞いた人々はみな、ひどく驚きましたが、
マリヤはこれらのことを胸に納め、時々、思い返していました。
 羊飼いたちは、お告げどおり赤ん坊にお会いできたので、賛美しながら、帰って行きました。
《ルカの福音書 2:6節~220 



2011年12月20日火曜日

★☆★☆クリスマスの祈り★☆★☆

クリスマスの美しい物語(抜粋)をお届けします
・・・あなたにも・・・
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2011年12月17日土曜日

・・・ 相模ダムカレーを食べる・・・

相模湖交流センターの中にある障害者経営のレストラン"青林檎”

今日、はじめて「ダムカレー」を食しました。
《カレー¥500+銀座のコーヒー¥200》
全国のダムに、このようなカレーライスが名物であるそうです。

“通"は・・・ダム決壊!と宣言して、カレーを食べ始めるのだそうです。




美しい相模湖
戦後にできたダム湖としては日本初
—――相模ダム完成は
1947年ーーー
(多くの犠牲者を出した困難な工事だったことが  小学校の教科書に載っていました)

相模湖(さがみこ)は、神奈川県相模原市緑区にある
相模川相模ダムによってせき止めて作られた人造湖である。
命名者は内山岩太郎元神奈川県知事。
人造湖に○○湖と命名した最初の例である。
一部東京都に飲料水が分水されることもある。
(Wikipediaより) 




入り口
明るい店内
あなたも行ってみませんか?

Merry Christmas CARD from U.S.A.

アメリカから来たクリスマスカード

立体的に見えますか?
(絵をクリックし拡大して見てください)
1973年にイギリスで知り合ったアメリカ人Steve Hines氏
それ以来のお付き合い
☆★☆光の発明家☆★☆
特に3Dの専門家
(ディズニーランドがつくった最初の3D映画を制作しました)

ホーページを是非 訪問してください
http://www.hineslab.com/


何年も前の発明です

毎年、おもしろいクリスマスカードを送ってくれます


 私たちのために一人の男の子が与えられます。 
しかも、その手にすべての主権が握られるのです。 
その子は、
「すばらしい助言者」「全能の神」「永遠の父」「平和の君」という肩書きをもらいます。
イエスキリストの預言〜旧約聖書イザヤ 9:6





ライフデザイン:スティーブジョブズ勇気と情熱

さまざまな本からこれを選びました

スティーブ・ジョブズが10月5日に亡くなった事は
世界中に衝撃を与えました。
それほど彼の存在は偉大でした。


追悼の言葉の一部をWikipediaから 
バラク・オバマ大統領は・・・ジョブズには1000マイル先の水平線が見えていた。
ビル・ゲイツは・・・スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え 全産業を再定義し 私たち一人一人が世界を見る方法を変えました。 
ジョン・スカリーは・・・だが、彼はほとんどいつも正しく、たとえ間違えている時でも、その創造性の豊かさには目を見張るものがある。


青年期の逸話がおもしろい(いかにもアメリカらしい) 
1968、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。ビル・ヒューレットパロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、パロアルトで、ビル・ヒューレットの名前で掲載されているものはひとつしかなかった。ジョブズが周波数カウンタの部品をくださいと言うと、部品をくれたばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけられた。もらった仕事は、ヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタをつくっているところだったという。 (出所:Wikipedia)




Macintosh 128K:1984年1月24日発売開始のその日に、
私はカリフォルニアでこの商品を見に行きました。
我が社のアメリカ人スタッフは早速買い込みましたが、
コンピュータを仕事に使う様々な利点を発見しました。

そのひとつは給料計算、もっと役立ったのは翻訳。
まず、日本語の手紙を日本人が書く。
それをアメリカ人が英語に翻訳する。
それをまた日本人がチェックする。
それを受けて アメリカ人がそのレターを完成させる。

コンピュータのデスクトップという舞台で・・・
人々が演ずる様は愉快でもありました。

ところが・・・問題はすぐに発覚 !!
いわゆるメモリー不足とハードディスクの容量不足
お金が掛かる代物でした。

とは言え、それ以来・・・私は
Macintosh 派です


いよいよこの本から・・・
・まず「デザイン」について
「デザインというのは妙な言葉だね。
見た目のことだと思っている人もいる。
でももちろん、もっと深く考えれば、機能ということになる。
Macのデザインは、見た目じゃない。
それも一部ではあるけれど、一義的には、どう機能するかだ。
何かを本当に優れたデザインにするには、理解しないといけない。
本質をとことん把握しないとだめだ。

・もうひとつ「デザイン」について
「ほとんどの人にとって、デザインといえば表面的なものだ。
内装だったり、カーテンやソファーの生地や、模様だったり。
でも、僕に取っては、
デザインほど深い意味を持った言葉は他にない。
デザインは人類の創造物に宿る根源的精神で、
それが製品やサービスが連続的にまとまった外装に現れてくる。」

「情熱」を持つ事の大切さ
情熱を持って取り組めとはよくいうけれど、本当にそのとうりだ。
情熱がないと、まともな人間ならまず続かない。
しかも、一定期間ふんばらないといけない。
だから、好きでなかったり楽しめなかったすると——―
心から好きだと思えないと、途中で投げ出すことになる。」



もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
新約聖書 1ペテロ 3:13