最近の「終活」で、
机の引き出しを整理していたら
奥の方から20年以上前のコピーを見つけました。
[7つの習慣]
1996年出版で全世界で3000万部以上、
日本国内でも200万部以上を売り上げ、現在も称賛されている
20世紀を代表するビジネス書」からの記事で、
巻末にあった著者の個人的体験談。
テーマは 「インサイド・アウト」
自分自身の内面(インサイド)、パラダイム、人格、態度などを
最初に変え、それから、外側(アウト)、他人や環境を変えるということ
私自身(スティーブン・リチャーズ・コヴィー)の
個人的な体験を紹介したい。
個人的な体験を紹介したい。
この本の本質をよく示すものであり、
その根本にある原則をぜひ理解していただきたい。
数年前、私はまだ大学で教鞭をとっていたが、執筆活動に専念するために、
大学から一年間の休暇をとった。
そして、
その一年を、ハワイのオアフ島の北海岸にあるライエという町で
家族と共に過ごした。
そこに落ち着いてしばらくするうちに、
大変快適な生活のパターンができあがっていった。
朝早く砂浜を走った後、裸足の子供たちを学校まで送り、
それから私は、サトウキビ畑に隣接した静かな場所に借りたオフィスに行き、
原稿を書いた。そこは、とても静かで美しく心休まる場所であった。
電話も会議も急ぎの用事も追ってくるものは何もなかった。
ある日、
私はオフィスの近くにある大学に出かけて行き、
図書館の奥に山積みになっていた古い書籍の間を歩いていた。
やがて私は、その中の一冊に大変興味を引かれた。
棚から取り出して開いてみると、ある一節が目に止まった。
そして、そこに書いてあった言葉が、
私のその後の人生を大きく変えることになった。
私は、何度もその文章を読み返した。
そこに書かれていたのは、
要約すれば、刺激と反応の間にはスペースがあり、
そのスペースをどう生かすかが、
私たちの成長と幸福の鑢を握っているということだった。
その考えが私にどれほど大きな影響を与えたか、
表現する言葉もない。
自分の将来は自分で決めることができると教育されていたが、
この「刺激と反応の問にスペースがある」
という表現の仕方はとても新鮮であり、
かつ信じられないほどの強い力をもって私の脳裏に刻み込まれた。
そしてそれは、
まるで「はじめて真実を知った」ような、
「自分の中で革命が起きた」ような「時至れり」というような思いであった。
私は、再三再四その考えについて思いをめぐらせた。
やがて、私自身の人生のパラダイムそのものが大きく変わり始めた。
私自身がその刺激と反応の間のスペースに立ち止まり、
自分を取り巻く様々な刺激を見つめ始めた。
やがて、
自分はこの自分の反応を選択する自由を持っているという実感と共に、
喜びが湧き上がってきた。
それに加えて、
自分自身は周りに対する刺激にさえなれるということも、
あるいは少なくとも影響を与えることができるということも分かった。
それから間もなく、
この革命的なアイディアの影響もあり、
私と妻は、深いコミュニケーションをとり始めた。
昼少し前になると私はオフィスから家にバイクで妻を迎えに行き、
そして幼稚園に通っていた二人の子供を連れて・・・
ひとりを私と妻の間に、もうひとりは私の左膝に乗せ・・・
オフィスに隣接したサトウキビ畑を走った。
私たちは会話を楽しみながら、毎日一時間ほどのんびりとあたりを走り回った。
子供たちは一緒にバイクに乗るのを楽しみにしていて、
いつもおとなしかった。
ほかにバイクや車を見かけることもほとんどなく、
私たちの乗っていたバイクも静かだったので、
互いに話し合うのはたやすいことだった。
そして、人のいない海岸に辿り着くと、
いつもバイクを停めて、
200メートルほど歩いた静かな砂浜でピクニックをした。
砂浜と海に流れ込んでいた小さな川は、
子供たちのとてもお気に入りの場所だったので、
私と妻はほとんど邪魔されることなく話しあうことができ、
その一年間、
毎日少なくとも二時間の深いコミュニケーションを図ることができた。
私たち夫婦が達成できた相互理解の深さを想像していただけるだろうか。
最初の頃、
私たちは気の向くままに、あらゆる事柄について話し合った・・・
人、アイディア、出来事、子供のこと、執筆活動の内容、家庭、将来の夢・・・。
しかし、
やがてコミュニケーションが少しずつ深まるにつれて、
そういった外の世界のことではなく、
それぞれの内面の世界について、より深い話をするようになった。
自分の育ち方や、受けてきた脚本づけ、
あるいは、心情、自己懐疑など。
また、
こういったコミュニケーションに深く入り込んでいるとき、
そのコミュニケーションそのものと、
それをしている自分自身をも見つめるようにした。
私たちは、刺激と反応の間のスペースを新たな形で活かし始めた。
そこから自分の受けた条件づけや、
それが私たちの見方にどのような影響を与えていたかを、
考えるようになった。
私たちが始めた自分たちの内面世界への冒険は、
かつて知っていた外面的な世界の冒険を
はるかに上回る興奮と発見に満ちたものだった。
しかし、
すべてがバラ色というわけではなかった。
時として相手の気に障ってしまったり、
恥ずかしい思いをしたり、
心が痛むような思いをしたり、ということもあった。
こうした経験によって、
お互いの心が非常に開かれ、
そのため傷つきやすい状況に陥ることもしばしばあった。
しかし、
実のところそれは、何年も前から踏み入れたかった領域でもあり、
その深く傷つきやすい領域に入り、
出てきたときにはまるで自分の魂が癒されたような気持ちにすらなった。
お互いに支え、助け合い、感情移入することは、
この自己発見のプロセスに大いに役立つものであった。
やがて
私たちの間に、二つの不文律ができあがっていった。
ひとつは、
絶対に探らないということだった。
相手が傷つきやすい内なる自分を表現し始めた時点で、
相手に質問することをやめ、感情移入に徹することにした。
探ることは、
相手の中に無理矢理立ち入り、相手をコントロールする結果を招くからだ。
私たちは全く新しい領域に入っていた。
それは、不安や恐れ、あるいは疑いを非常に感じやすい領域だった。
もっと深く相手の世界に入り込みたいという気持ちはあったが、
相手が自分のベースで打ち明けなければならないということを理解し、
その気持ちを尊重した。
もうひとつのルールは、
あまりにも心が痛むような話になったら、
その日の話はそこで終わりにするというものだった。
翌日は、終わったところから始めるか、
あるいは相手がその話を続けてもいいと感じるまで
別の話題に変えることにした。
たとえ、
その場で解決できない話が残ったとしても、
いつかそれについて話すことができると考え、急がないことにした。
私たちのコミュニケーションで最も難しくはあったが、
実りの多かったのは、
私と妻の双方の傷つきやすい部分が重なる問題について話し合ったときだった。
そのようなときには、
「刺激と反応の間のスペース」が消えてしまい、
怒りといった感情が出てしまうこともあった。
しかしながら、
いったん話を打ち切ることによって、
気持ちを落ち着かせる時間を持ち、
再度話し合って解決したいという強い希望と決意が私たちにはあった。
また、難題のひとつに、
私の個性とかかわっているものがあった。
私の父は非常に内向的で、注意深い人であった。
一方、毋は外向的で、率直に思うがままに行動できる人間である。
私はふたりの性質を受け継いでいるが、
不安を感じると父のように内向的になりがちで、
自分の殼に閉じこもり周りを観察する傾向がある。
妻は、
どちらかといえば私の母のように、
社交的で、心のこもった人づき合いに長け、非常に自然体で行動する。
結婚後何年にもわたって、このお互いの個性がたびたびぶつかり合った。
私にはその彼女の率直さが時に気に障ることもあり、
一方、
彼女には、内にこもってしまう私の傾向が
周りとのコミュニケーションを遮断しているように映ることがあった。
こうした点も、お互いの話し合いですべて明確になっていった。
私は妻の洞察や知恵をより大切に思うようになり、
もっと率直で、感受性のある、社交的な人間になれるように、
彼女の助言を受け入れられるようになった。
もうひとつ難題があった。
それは私が何年間も気になっていた、妻のひとつのこだわりだった。
妻はフリジデア社の電気製品にこだわっていた。
が、私には
その執着がどうしても理解できなかったのだ。
彼女は他社の製品を買うことなど、端から考えようともしないのだ。
例えば、
結婚して間もない、まだお金も十分でない頃、
私たちの住んでいた大学の町には
フリジデア社の製品を扱う販売店がなかった。
それでも妻は、
70キロも離れた大きな街まで車を運転してでも
フリジデア社の製品を買うことに固執したのだ。
私にとってそれは非常に気に障る問題だった。
幸いにして電気製品を買うときにしかこの問題は出てこないが、
いったんその話になると、私の怒りは爆発寸前となる。
このたったひとつの問題が象徴となって、
私は妻が理に合わない考え方をすると感じ、
様々な悪感情を発生させていた。
この問題が発生すると、
私はたいてい黙っていることにした。
なぜなら、この問題に対応する唯一の方法は口にしないことだ、
と考えたからで、
さもなければ自制ができなくなり、
後々必ず後悔するようなことを言ってしまうにちがいなかったからだ。
実際に失言してしまって、後で謝ったことも何度かあった。
私の気に障ったのは、
妻がフリジデア社の製品が好きだという点ではなく、
フリジデア杜のよさを強調するために、全く事実と異なる、
理に合わないような発言を繰り返す点にあった。
妻がそれを理に合わない感情的なものだと認めさえすれば、
私も少しは受け入れられたかもしれない。
しかし、それを正当化しようとする彼女の行動には、我慢ならなかった。
春頃、
フリジデア社のことが、妻とのコミュニケーションの中で話題にのぼった。
それまで続けてきたコミュニケーションすべてが、
その下準備となっていた。
探らないこと、そして心に痛みを感じたら一度終わらせて、
しばらく時間をおくというルールも、確立されていた。
その課題を最後まで話し合った日のことを、
私は一生涯忘れることはできない。
その日は海岸に向かわなかった。
延々とサトウキビ畑を走り続けた。
多分、お互いの目を見るのが恐かったのだと思う。
この課題にかかわっていた苦い経験や悪い感情があまりにも多く、
そして、あまりにも長い間それを抑えつけていたからだ。
夫婦関係の決裂に直接結びつくほどのものではないにせよ、
美しく一体感のある関係を築き上げようとしているとき、
お互いを引き離す危険性のある課題は何であれ、
慎重に取り扱わなければならない。
この話し合いを通じて学んだことは、
お互いに驚くほど大きかった。
それは、本当に相乗効果的なものだった。
妻自身も、はじめて自分のこだわりの原因を知ることができた。
妻は自分の父親について話し始めた。
彼女の父親は高校の教師をしていたが、
その給料だけでは生活を支えるのが困難だったため、
電気製品の販売店を経営し始めたのだった。
しかし、
ちょうど不景気にぶつかり、深刻な経済状態に陥ってしまった。
そんな彼がなんとか倒産を免れられたのは、
フリジデア社の支えがあったからだった。
彼女と父親の関係は、非常に心温まる豊かなものだった。
毎日くたくたに疲れて帰宅し長いすに横になっている父親の足を、
彼女は歌いながらさすった。
それは、とても楽しい思い出深い時間だった。
そんな時、父親は、
悩みや仕事のこと、そして経営危機に陥った折りに、
フリジデア社のおかげで乗り切ることができた感謝の気持ちなどを、
包み隠さず、娘である妻に話して聞かせたのだった。
父親と娘の間に行なわれた自然のコミュニケーションは、
彼女にとって極めて強い脚本づけになった。
そういうリラックスした皀然の状態でなされたコミュニケーションでは、
防衛的な態度はなく、
様々なイメージや考えが無意識のうちに心に植えつけられる。
この一年間の深いコミュニケーションができるまで、
妻自身そんなことはすっかり忘れていたようだった。
妻は、自分自身、
そしてフリジデア社に対する気持ちがどこからきたものなのかを、
はじめて理解することができた。
私も彼女の気持ちへの理解が深まり、
彼女に対する全く新しい尊敬の念を持つようになった。
妻は電気製品について話していたのではなかった。
妻が話していたのは自分の父親についてであり、
忠誠心についてであったのだ。
その日、
私たちはお互いに敬虔な気持ちになり、目頭が熱くなった。
そして、上辺では他愛ないことのように見えても、
過去の経験に深い根を下ろした大きな事柄もあるのだということを学んだ。
深く潜んでいる問題を取り上げずに、
上辺の枝葉末節に対応することは、
人の心という聖地をむやみに踏みにじる行為である。
その一年間から、
私たちは多くの豊かな実りを刈り取ることができた。
お互いのコミュニケーションがとても素晴らしいものになったおかげで、
即時にお互いの思いを感知することができるようになった。
私たちはハワイを去る時、こ
の習慣を続けようと決意した。
その後も、
バイクに乗ったり、天気が悪い時は車でドライブしたりしながら、
コミュニケーションを続けている。
愛を保つ鍵は、話し合うこと、特に気持ちについて話し合うことだと、
私たちは感じている。
私は出張していても、毎日数回電話をかけて、妻と話し合う。
心の故郷に戻り、
そこから得られる幸福、安定感、貴い価値を、毎日手に入れるのである。
世代を超えて生きる
この素晴らしい一年間を通して、私たち夫婦が発見したことは、
「刺激と反応の間のスペース」を賢明に活かし、
人間の四つの独特の性質を発揮することで、
インサイドーアウトから力が得られるということであった。
私たちも以前はアウトサイド・インの接し方をしていた。
つまり、お互いを愛しているから、
行動や態度を改善したり、
人間関係のテクニックを使用したりすることで、
お互いの相違点を乗り越えようとしていた。
しかし、
そうしたバンドエイドや鎮痛剤のような、
その場しのぎの応急処置的な対応の効き目は、
長続きするものではなかった。
自分たちの基本的なパラダイムに働きかけてコミュニケーションを図るまでは、
表面下の慢性的な問題は残ったままだったのである。
インサイド・アウトのアプローチで努力するようになってからは、
開かれた信頼関係を築き、
アウトサイド・インのアプローチでは全く望めなかったような
深く継続的な方法で、
お互いの相違点を乗り越えることができるようになった。
この美味しい果実―豊かなWin・Winの関係、
深い相互理解、驚くべき相乗効果―は、
自分たちの持つプログラムを見つめ、
脚本を書き直し、第二領域に入り、
深いコミュニケーションを図り、
自らを管理することによって育成された
「根」から、自然に実ったものであった。
そして、ほかの果実も得た。
それは、私たちが
自分たちの両親から強い影響を受けているのと同じように、
私たちの行動を思いがけないほどの影響を
子供たちに与えているということを、
今までに増して深く知ることができたことである。
自分の人生において、
脚本づけがどれだけ大きな影響力を持っているかを知ることによって、
次の世代に正しい原則に基づいた教えや模範を示す決心を、
新たにすることができた。
この本では、
主に、主体的に自分で書き直したい脚本について取り上げた。
しかし、
自分の脚本を注意深く見つめると、
今まで意識もせずに当たり前だと思っていた、
前の世代から引き継いでいる
美しい積極的な脚本の存在にも気がつくことだろう。
真の自覚を持つということは、
そうした脚本に感謝し、
過去から現在の自分につながる人々に感謝し、
そして、
原則中心の生活を営み、
自分がどうあるかだけでなく、自分はどうなれるかということを、
ありのままに知ることである。
世代を超えて強い絆で結ばれた家族には、
素晴らしい力がある。
子供、親、祖父母、叔父・叔母、いとこなど、
効果的な相互依存状態を達成している家族には、
家族の各メンバーに、人間としての本来の価値、
自分は何者なのかを教えてくれる強大な力がある。
子供たちにとって
自分は「一族」に属しているという意識が持てることは、
とても素晴らしいことである。
全国あるいは全世界に散らばっていても、
数多くの人間が自分のことを大切に思ってくれているという意識は、
家族の個人個人の成長に大いに役立つことだろう。
もし、
あなたの子供が何らかの問題を抱えていて、
あなたとうまく話せないようなことがあっても、
あなたの兄弟が一定期間、
あなたの代わりに相談相手になってくれるかもしれない。
孫に関心を抱く祖父母というのは、
この地球上で最も貴重な存在だと思う。
彼らはなんと素晴らしい社会の鏡になってくれることだろう。
私の毋もそうい存在で、80歳を超えた今でも、
自分の子供や孫全員に深い関心を抱いている。
皆に愛情のこもった手紙を書いている。
先日も、
私は母の手紙を読んでいるうちに、頬に伝う涙に気がついた。
今晩、毋に電話をかければ
どういう言葉をかけてくれるか、おおよそ見当がつく。
「スティーブン、心から愛しているわ。本当に素晴らしいと思っているのよ」
母は常に私の価値を認めてくれる存在である。
世代を超えて強く結びついている家族というものは、
最も実リ多く報われ、
そして満足できる相互依存関係のひとつになる可能性を秘めている。
多くの人々が、
その関係の大切さを意識している。
数年前に「ルーツ」という本と、
系図を調べるブームが起きたことをみても、それがよく分かるだろう。
すべての人にはルーツがあり、それを調べることができる。
自分の先祖を知り、そしてそれを知ることによって、
素晴らしい力も得られるのである。
こうした行動は、
自分のためではなく、自分の子孫のため、全人類の子孫のため、
ということが最高の動機づけになっている。
かつて次のように語った人がいる。
「子供に相続できるもので永遠の価値を持つものは二つしかない。
「ルーツ」と「翼」である。
流れを変える人になる
子供に「翼」を与えるということは、
今まで引き継いできた悪い脚本を乗り越える力を与えることである。
それは、
私の友人であるデリー・ワーナー博士のいう
「流れを変える人」になることだと思う。
今までの悪い脚本をそのまま次の世代に引き継ぐのではなく、
その脚本を変えるのである。
そしてその脚本を通して、さらにお互いの関係を強められるのである。
仮にあなたが子供の頃両親に虐待されたからといって、
あなたも自分の子供を虐待する必要はない。
心理学の研究によると、
そうした脚本どおりの行為をする確率が極めて高いという。
しかし、
あなたには主体性があり、
その脚本を書き直す力を持っているのだ。
自分の子供を虐待するどころか、
彼らを愛し、肯定し、彼らに良い脚本を与えることができるのだ。
それを、
自分の個人的なミツション・ステートメントに書き入れて自分の心に刻み込み、
毎日の私的成功の一環として、
それに沿って行動している自分自身の姿をイメージすることができる。
また、
自分自身の両親を愛し、許し、
健在であればその関係を築き直す道を歩み始めることさえもできるのである。
あなたの家族で、
何世代にもわたってつくられてきた悪い流れは、
あなたの代で止めることができる。
あなたは流れを変える人となり、過去と将来の接点になるのだ。
そして、
あなたのつくり出したその変化は、
将来にわたって数多くの人々の人生に大きな影響を与えることだろう。
二十世紀の流れを大きく変えた人間として、
アヌワール・サダト(エジプト大統領)をあげたい。
彼の生き方は、
彼の本質を私たちに証するものである。
サダトは、
アラブ人とイスラエル人との間にあった過去からの不信、
恐怖、憎しみ、誤解といった大きな壁と、
新たに起こるであろう衝突や孤立主義の不可避の将来の間に立たされていた。
交渉しようとする努力はすべて反対され、
合意書の中にある一語一句が争いの種になっていた。
皆が、問題の葉っぱに斧を向けたのに対して、
サダトは、刑務所の独房での経験を頼りに、根っこに働きかけた。
そして、
働きかけるうちに、やがては歴史の流れを変え、
何百万人という人々の生活に平和をもたらしたのである。
彼の自叙伝の中に次のような一説がある。
「そこで、私はほとんど無意識のうちに、
カイロ中央刑務所の54番の独房で培った内的な力を引き出し始めた。
それは、
自分自身を変えていく才能、あるいは能力とでもいうべき力である。
私は非常に複雑な状況に直面していた。
必要な精神的・知的な能力で武装するまで、
その状況を変えることはできないと悟った。
その孤独な場所で、
人生や人間の本質について深く考え学んだことがある。
それは、
自分自身の思い、自分自身の思い、
そのものを根本から変えることができない人間は、
周りの世界を変えることは一切できないということである。
そういう人はいつまでたっても、
実質的な進歩を遂げることはできないのだ」
根本的な変化は
インサイド・アウトから起こるものであり、
応急処置的な個性主義のテクニックで行動や態度といった
葉っぱをいじって達成できるものではない。
それは根っこであり、
自分の考えの根源であり、自分の人格を定義し、
世界を見るレンズを構成する基礎的なパラダイムそのものを
変えることによってのみ、達成できるのである。
アミエルは次のように表現している。
「人間は道徳的な真理について考えることができる。
感じることもできる。
実行しようと決心することさえできる。
しかし、
そこまで真理を知り、かつ持っていながらも、
全く悟っていないということがある。
それは意識よりも深いレベルに、私たちの存在、
私たちの本質そのものがあるからである。
この最後の領域に入り込んでいる真理だけが、
私たちの本質の一部分になる。
意識のレベルを琴凡て自然に無意識にできるものだけが、
私たちの人生の一部分になる。
こうした真理を、単なる所有物として持つことはできない。
真理と私たちの間にいささかでも隔たりがあれば、
私たちは真理の外にいると言わざるを得ない。
命についての思い、感情、あるいは意識的な望みを持つことは、
本当の命を持つことではない。
本当の命の目的は、神聖になることである。
そうなってはじめて、
本当の意味で真理を持つことができるのである。
真理は、
私たちの外にあらず、中にあらず、
私たちが真理であり、真理が私たちなのである」
「7つの習慣」の最も気高く美味しい果実は、
自分自身と、
家族と、友達と、仕事の同僚とひとつになることである。
ほとんどの人は、
一致という甘い果実を過去に何度か味わったことがあるだろうし、
不和の苦い寂しい果実も味わっているだろう。
私たちは、一致することが
いかに貴重で壊れやすいものであるかを知っているはずである。
一致をつくり出すために必要な廉潔な人格を築き、
愛と奉仕の人生を送ることは、
もちろん容易なことではない。
まして、応急処置によってできるものではない。
しかし、それは可能なのだ。
自分の人生の中心に正しい原則をおき、
ほかの中心のもたらすパラダイムを破り、
ふさわしくない習慣の引力を断ち切ることで始められるのである。
時には、間違いを犯すこともあるだろうし、
ぎこちなく感じることもあるだろう。
しかし、
毎日の私的成功で始まるインサイド・アウトのアプローチを
実行していれば、しかるべき結果は必ずついてくる。
種を蒔き、辛抱強く雑草を取り除き育成していけば、
真の成長の喜びを経験し、
廉潔感のある効果的な人生という
唯一無二の美味しい果実を味わうことができるのである。
ここでエマーソンの言葉を引用したい。
「繰り返し行なうことは、たやすくなる。
行なう作業の質が変わるのではなく、行なう能力が増すのである」
生活の中心に正しい原則をおき、
行なうこと(P)と行なう能力(PC)を増やすこと、
この二つの要素の良いバランスをつくり出すことにより、
効果的で有意義な、
そして平安な生活を送る力が与えられるのである。
私たち自身のために、そして、私たちの子孫のために。
個人的な追伸
本稿を終えるにあたり、
正しい原則の根源に関する私の個人的な信念を分かち合いたい。
正しい原則とは自然の法則であり、
神あるいは偉大な創造主がその源であり。
また私たちの良心の根源であると、私は信じている。
また、
人々がこの神聖な良心に沿って生きる限りにおいては
、その本来の可能性を満たすことができ、
それに沿って行動しなければ動物のレベルを超えることはない
と確信している。
教育や法律だけでは影響できない側面が人間にはあり、
人間は自らを完成させることはできない。
正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、
それに応じて、
自分の本来与えられた可能性を発揮することができるのである。
の言葉を借りるならば、
「我々は霊的な経験をしている人間ではない。
人間的な経験をしている霊なのである」ということだ。
私は、この本の中で取り上げた多くのことに関して、
今もなお奮闘努力を続けている。
しかし、
それに取り組むことは有意義であり、
そこから得られる報いも非常に大きい。
それは、
私の人生に意味を与え、愛し、奉仕をし、努力を続ける力の源である。
T・S・エリオット(アメリカ人詩人)が、
私の個人的な発見と信念を美しく表現している。
「我々は探究をやめてはならない。
そして、我々のすべての探究の最後は、
初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである」
あなたがたは神の神殿であり
神の霊が
あなたがたに宿っておられることを
知らないのですか?
コリント第1の手紙 3:16
0 件のコメント:
コメントを投稿