2019年9月24日火曜日

 ライフデザイン:荒れ地に花が咲く


朝の散歩道で

荒れ地に咲く花





























先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。

見よ。
わたしは新しい事をする。

今、
もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。

確かに、
わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。

わたしが荒野に水をわき出させ、
荒地に川を流し、
わたしの民、
わたしの選んだ者に飲ませるからだ。

イザヤ書 43章






私の兄弟たち。
さまざまな試練に会うときは、
それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです。


その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、
あなたがたは、何一つ欠けたところのない、
成長を遂げた、
完全な者となります。

ヤコブ書1章2〜4節





2019年9月16日月曜日

  ライフデザイン:敬老の日


今日は
敬老の日
相模原市からお祝いの封筒が届きました。
ことし喜寿77歳になるからでしょうか?





また今年も
孫の行っている保育園から
今年も友だちと写った写真が送られて来ました。
歳を取るというのは
良いものですね〜

この手の下にある写真は外しました






William Franklin, Jr.
ウィリアム・フランクリン・グラハム・ジュニア
20世紀で最も著名なキリスト教伝道者です
2018年2月21日に99歳で亡くなるまで・・・

日本には4回訪れ伝道集会を開きました
そのうち私は2回集いました

この書籍は
彼が93歳の時に書いた本です。



彼はこの本の中で次のような事を述べています

*これまでの人生の中で、死ぬ前の年月をどのように生きるべきか、
教えてくれる人はいなかった
*歳を取って思うことは、老人であることは容易なことではない、ということ
*93歳を迎えて、神さまが私を天のふるさとへ招いてくださることを知っており、
これまで以上に、その日を待ち望んでいます
*御国のすばらしさを知っているからのみでなく、
私の人生のこの段階で覆いかぶさってくる、あらゆる重荷や悲しみから
ついに解放されることを知っているからでもあります
*またその日を待ち望んでいるのは、
60年間連れ添った、妻のルースに再会できるからでもあります
*聖書は、神様が私たちを生かしておられるには理由がある、
と語っておられます
*老人が、未来に対して絶望ではなく、
希望をもって対峙するにはどのようにすればよいでしょう
*老いは、希望と達成感と喜びを見出すチャレンジです

この本は、あなたも私も神の助けをいただいて
ゆとりをもって老いを生き
人生の最終章を無事に終焉するために書かれました!

1966年の伝道集会


内容の一部をご紹介しましょう

☆人生のホームベースに向かって走る
☆人生から引退しない
☆希望をもって御国に近づく
☆老年期は人生の黄金期
☆力が衰えても力強く生きる
☆死に向かう人々と共に神さまに心を向ける
☆感化されやすい年代の人たちの心を動かす
☆永遠に残る確かな土台キリストに立つ(完全な悔い改め)
☆成熟した信仰をもって御国に近づく


・ ・ ・ ・ ・


私たちが今持っているこの肉体が老化し、
駄目になっても、
神が下さる新しい体が天に用意されていることを、
私たちは知っている。

私たちは肉体を持って生きているが、
実は天から与えられる新しい体のことを思って、
うずうずしている。

それを持てば、
たとい肉体は朽ちても、
霊だけでいることにはならないからである。

確かに肉体を持ってこの世に生きている間は、
いろいろな悩みや苦しみがある。
そして、
天から与えられる新しい体を持ちたいという願いで一杯である。
それは、
もう二度と死なない体だからである。

コリント人への第2の手紙 5章






2019年9月13日金曜日

 ライフデザイン:これからの日本


『現在の日本は・・・
夢もなければ冒険心も湧かない「低欲望社会」になってしまった。』
と、
堺屋太一氏は
遺作[団塊の後]に記して、
この2月に他界しました。

果たして「日本」は、ジリ貧の老大国になってしまうのか?

私たちは
この難局に答えを出せないのでしょうか!




日本は「第三の敗戦」を迎える。
それは2020(令和2)、東京オリンピックの年に決定的になるだろう。
私たちは一刻も早く「三度目の日本」を創らなければならない――。
そう書き遺して、著者・堺屋太一は帰らぬ人となった。


著者が言う「敗戦」とは、
「一国の国民または住民集団が、
それまで信じてきた美意識と倫理観が否定されること」
すなわち価値観の大転換である。

近代日本にとって
第一の敗戦は幕藩体制の崩壊、
第二の敗戦は文字どおり第二次大戦での敗戦だった。


しかし
日本は敗戦のたびに立ち上がり
それぞれ
「一度目の日本」(明治政府による富国強兵と殖産興業)
「二度目の日本」(戦後の成長経済)を創ってきた。

ところが
その「二度目の日本」の価値観は、もはや通用しなくなっている。
官僚が主導する政策の結果、
現在の日本は
夢もなければ冒険心も湧かない「低欲望社会」
になってしまったのだ。



「一度目の日本」「強い日本」を目指した
「二度目の日本」「豊かな日本」を目指した
では、
「三度目の日本」は何を目指すのか?


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2020年からの日本

・オリンピック後5年間の不況期
・ジリ貧の老大国
・縮む日本
・「身の丈の国」を目指して
が続く?


しかし
堺屋太一氏は
以下のような提案をしています


「三度目の日本」
2026年からはじまる「三度目の日本」
・第1の日本は、強い国をめざした
・第2の日本は、豊かさをめざした
・第3の日本は、楽しい国をめざす
・そのためには・・・二道二都八州にする
・第4次産業革命最先端国をめざす

・・・・・・


津久井の夕暮れ







私どもはモーセの律法を破り、あなたに対して罪を犯しました。
しかし、
どうかモーセに仰せられたことを思い起してください。
『あなたがたがわたしに背く罪を犯すなら、
わたしはあなたがたをほかの国へ追いやってしまう。
しかし、
あなたがたが悔い改めてわたしに立ち帰り、
わたしの言葉を守るなら、
たといほかの国へ追いやられていたとしても、
その異国の地から、また約束の地、神殿のある所に連れ戻す。』
彼らは、あなたの驚くべき奇蹟によって、
救い出され、
あなたのものとされたあなたの民です。


主よ。
どうぞ私の祈りと、
信仰をもって祈っている敬虔な者たちの祈りをお聞きください。
どうぞアルタシャスタ王の前に行き、
願い出ようとしていることについて、
王様が好意を示されるように取り計らってください。」
その時、
私はアルタシャスタ王の側近であった。
ネヘミヤ記 1章 (現代訳聖書)

————囚われの身であったネヘミヤがエルサレム神殿の再建を願ったときの祈り————


フランチェスコ・イエツア『エルサレム神殿の破壊』
                


                                                                    

2019年8月31日土曜日

  ライフデザイン:夏の終わり


今日は8月31日
今年のは終わりました。
ミニトマト
は 
たくさんのをならせ
美味しく頂きました。

サフィーニア
 まだまだ元気です!



夕暮れの庭のサフィーニア
手前のミニトマトは良く実りました
























神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、
神が行われるみわざを、
初めから終わりまで見きわめることができない。
伝道者の書 3:11 





2019年8月17日土曜日

ライフデザイン:残暑お見舞い申し上げます

猛暑が続いていますが・・・
皆さまお元気ですか?

暑中お見舞い
残暑お見舞い
のご挨拶
ありがとうございました。







兄弟たち
主が来られる時まで耐え忍びなさい。
見なさい
農夫は
大地の貴重な実りを
の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。 
ヤコブ 5:7 





2019年8月8日木曜日

ライフデザイン:燈台現地活動報告会

NPO『燈台』
2019年6月22日
最後の「現地活動報告会&チャリティーコンサート」

1987年から33年間続けてきたアフガン支援
2020年3月末で終了です。

これまでの日本の皆さまへの支援に対して
感謝の報告会となりました。






活動報告
ユーオーディア・アンサンブルのコンサート
がありました

石黒早苗理事長の挨拶

ユーオーディア・アンサンブル




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『燈台』の活動の歴史を振り返ってみましょう


日本とアフガニスタンの距離は6,500km
およそハワイまでの距離です


 1930−1970年代まで
アフガニスタンは平和な国で
西洋化が進み 人々の生活は安定していました。



カブール大学の卒業式


ところが・・・
1979年12月24日
旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきました
そして当時
世界最大の難民550万人が国を出たのです。





1987年の難民キャンプ
(パキスタン国クエッタ市)

私が訪問したときの難民キャンプの写真
クエッタの難民の子どもたち
奥に子どものお墓がたくさんありました


当時、
パキスタンのクエッタ市の難民キャンプ
を訪ねたN夫妻が 子どもの墓がたくさんあるのを知って、
小児科のクリニックを開設することを願いました。
ところが
パキスタン政府は日本の医療機関の保証を求めました。
そこで
N夫妻の知り合いだった埼玉県北本市の南福音診療所が
その保証を引き受けることになりました。
同時に
N夫妻の知人クリスチャン12人(私を含め)の理事を迎え
その活動を支援する『燈台理事会』が立ち上がりました
1987年のことでした。


南福音診療所




1987年クリニック開院
受付で診察を待つ患者たち





多くの子どもは下痢による脱水症で亡くなります
左下の子は翌日亡くなりましたが
この写真を残し
医療の必要性を訴えてくれました。


6年間で13万人の子どもを無料で治療
1993年にパキスタン政府から閉鎖を命じられる





1988年 難民学校 開校
ヌール スクール

クリニックの庭にテントを張って

熱心に学ぶ子どもたち
一冊の教科書からコピーを取って学ぶ

数年後大きな校舎に移る
小学生からはじまったクラスは高校生まで拡大




イスラムの学校とは違い
日本式に英語・算数・理科・社会などを教える
授業終了後は子どもたちが自分たちで教室を清掃する








1992年 旧ソ連軍 撤退
その後 部族間の闘争で内乱状態に




1995年
アフガニスタンの首都カブールへ





爆弾で穴の空いた屋根を修理して
クリニックを開院


風土病:マラリヤ・リーシュマニアの治療
受付を待つ患者たち




サシバエ(蚊)によって伝染する
21回の連続注射で治癒するが
薬の高騰と入手が困難


破壊されたカブールの街






タリバンが
全土の80%を掌握







2001・9・11



 新たな難民キャンプ
がアメリカの空爆によって
アフガニスタンやパキスタンに生まれました





『燈台』の緊急支援活動














2005・4
パキスタンからアフガニスタン
















小中高校の校舎全景

生徒から感謝の挨拶






33年間の支援活動の記録





あなたも行って同じようにしなさい!
聖書

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『燈台』ホームページ

6月22日の 最後の「現地活動報告会」の動画を ぜひご覧ください!