キリシタンとは?
(ジャポニカより)
戦国時代の末期から江戸時代における
日本人キリスト教(カトリック)信者。
キリシタンの語はポルトガル語のchristo, cristo(キリスト教徒)に由来する。
キリシタン信仰、またはキリシタン宗門は
同じくポルトガル語からキリシタンダアデと称された。
フランシスコ・ザビエル以後、
初期のキリスト教の布教はポルトガル国王の保護権下に行われ、
教会用語はラテン語とポルトガル語であったから、
日本人の改宗者はキリシタンとよばれた。
これを漢字で表す場合に、
「吉利支丹」「貴利支丹」「貴理師端」「幾里志丹」などの例がみられるが、
1680年(延宝8)以後は、
徳川5代将軍綱吉の諱(いみな)を避けて「吉」を用いなくなった。
またキリシタン宗門は幕府が厳禁するところであったから、
キリシタンには「切支丹」「鬼里至端」「切死端」「毀理至炭」
といった悪意や憎悪を交えた表現が諸文献にみえる。
[松田毅一]
参考図書
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エリザベス・サンダース・ホーム創設者として知られる 故澤田美喜夫人の個人的コレクション 江戸時代の隠れキリシタンの遺品851点が展示されている 大磯駅前にあります |
キリストは
神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、
仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、
死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は、
この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、
イエスの御名によって、
天にあるもの、
地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが、
ひざをかがめ、
すべての口が、
「イエス・キリストは主である」
と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。
そういうわけですから、
愛する人たち、
いつも従順であったように、私(使徒パウロ)がいるときだけでなく
私のいない今はなおさら、
恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
神は、
みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
ピリピ 2:6〜14