「放蕩息子の帰還」 という聖書の物語があります (イエスキリストが話したたとえ話です) ルカの福音書15章11〜32節 私の知り合いのO牧師の体験をご紹介します テーマは 「放蕩娘の帰還」 です。 |
レンブラント作 「放蕩息子の帰還」 |
今から十数年前。ある夜のこと。
中学生だった長女が私のところに来た。
「お父さん、お話があります」。
「ん? どうした、そんなに改まって…」。
「実は…私が受けた洗礼、取り消してほしいんです」。
呆気にとられ、絶句する私に、彼女は涙ながらに訴えた。
小学校5年生の時に、「どうしても洗礼を受けたい!」
と申し出たのは、彼女のほうだった。
しかし、
中学進学以来、
もし、牧師の娘に生まれなかったら、
違う人生だったのではないかと考え始めたという。
そして、
悩みに悩んだ末の、この告白だったわけだ。
もちろん、
洗礼の取り消しなど聞いたこともない。
しかし、
彼女の決意は硬かった。
こうして、彼女は教会を離れたのである。
それから数年後のこと。
高校卒業後、
フリー・アルバイターをしていた彼女は、
再び、私のところに来た。
「お父さん、お話があります。
デザインの勉強に、ニューヨークに留学したいんです。
費用を出してもらえますか?」。
「…ニューヨーク?」。
またもや絶句である。
しかし、よく話を聞くと、しっかりと考えている。
すでに、留学の仲介業者に行き、
手続き方法などを周到に調べている。
全体額の見積もり書まで資料として出してきた。
けれども、我が家にはそんな余裕などない。
下には、まだ弟と妹が控えている。
しかし、
彼女の夢もかなえてあげたい。
それに、これはチャンスかもしれない…。
そこで、
留学費用を出す条件の筆頭に、
現地の教会に通うことを挙げたのだ。
背に腹は代えられない。
彼女はこの条件を呑んだのである。
こうして、2013年10月。
留学生活スタート。
彼女は約束を守り、教会に通い始めたのだが、
神さまは最善をなさる方!
最寄りだからと選んだのは、
なんと、ゴスペルで世界的に有名な、
ブルックリン・タバナクル・チャーチだったのである。
毎週の礼拝で歌われる、
圧倒的なゴスペルは彼女の魂を揺さぶった。
そして、
だんだん英語がわかるようになってくると、
ジム・シンバラ牧師の、
流行のムーブメントには流されない、
筋の通ったメッセージが、
彼女の心に沁み込んでいった。
その頃から、
スカイプで、
「ねえ、聞いて、聞いて、
今日の礼拝で、ジムちゃんがこんなこと言っていたよ!」
と報告してくれるようになった。
これはうれしい!
まさか、
再び彼女と信仰の話、聖書の話をすることができるようになるとは
思いもしなかったからだ。
そして、この夏。
卒業を控えた娘は一時帰国。
7月29日に結婚式を挙げたのである。
相手は、私もよく知っているハーフの男性。
NYでことばの壁に悩み、
膨大な課題に押しつぶされそうな時に
支えてくれたのがきっかけだという。
M先生の司式による結婚式は
厳かもあり、なごやかでもあり
祝福にあふれたものだった。
私は、
娘と腕を組んでヴァージンロードを歩いたが、
まさに、
父親冥利、牧師冥利に尽きる1日だった。
こうして、放蕩娘は帰還したのである。