2017年8月4日金曜日

ライフデザイン:カローラ物語

2016年
トヨタカローラ誕生50周年

グローバル累計生産台数4000万台達成



私にとってカローラは特別思いが深い車です
トヨタに入社してはじめてデザイン開発に取り組んだ車が
第2世代カローラ
だったからです。


当時のカタログより



我が家で所有した唯一のカローラ
7代目カローラレビン
1991年〜1995年
良い燃費で良く走り サイズが最適で 運転しやすさは抜群でした
妻の車として愛用され 
後に次男の車として走行距離は10万キロを超えました
名車です!




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1100ccの初代「カローラ」
昭和41年(1966年)11月
発売


「3C」と呼ばれたクーラー、カラーテレビ、カーが
新・三種の神器として国民の豊かさの象徴とされました。
日本の総人口数が1億人を突破し、いざなぎ景気の始まりでもあります
「人々は核家族化し、郊外に住み、
マイカーを移動手段として使うようになり、
日本に爆発的なモータリゼーションの隆盛が起きる」
数年後をこのように予測したトヨタ自動車は、
高岡(愛知県豊田市)に1km四方にも及ぶカローラの専用工場を建設。
トヨタ自動車の月間生産台数が約5万台だった当時、
カローラは月間3万台を生産すると記者会見で発表。
メディアや記者たちを驚かせました。
《トヨタ自動車URLより転載》


カローラの歴史
第1世代〜現在の第11世代まで

http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60003154/index.html
《トヨタ自動車75年史より


上記の背景には・・・
1−世界に販路を広げることができる車をつくれる実力がついてきた
2−3万台を生産することでコストを下げることができることが期待できた
3−トヨタの企業理念:「大衆のための車をつくる」の実現への執念があった
4−大衆のための車としてカローラをつくり続ける覚悟トヨタにあった





創業者:豊田喜一郎の言葉
我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、
日本 のあらゆる民族産業が育ちません。
それは別にトヨタでなくともいい。
けれども現状のままでは、
カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行う)に
占領されて自動車工業など芽もないように
日本も同じ道をたどります。
引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、
日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。


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2016年
世界で最も売れた車

カローラは、94.6万台で世界1位
第2位は、フォルクスワーゲンで73万台
第3位:Fordピックアップトラックで、72.8万台


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カローラ累計生産台数
1966 → 2016

海外生産・販売の拡大により
グローバルカーに





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カローラのデザイン
特徴がないようですが
飽きが来ません
中古車になっても古く感じさせないデザインなのです

これが・・・
世界中で長く何年も売れつづける理由です
実は・・・
基本のデザインアイデアレベルは非常に高いのです!



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広告で見るカローラの歴史
「カローラ物語」から広告を転載

1997年発行
2000万台記念の時でした


第1世代
1966年〜1970
現在にも通じるセミファーストバックのデザインが新鮮

第2世代
1970年〜1974
柔らかなデザインが好評
室内のこのクラス初の豪華なハイバックシート
コーラボックスが便利
特にクーペのデザインは秀逸


第3世代
1974年〜1979
セミファーストバックのデザインを継承
大きくして余裕を持たせたのが成功


第4世代
1979年〜1983

三世代続いたセミファーストバックのデザインから脱却
ひとクラス上のデザインテーマを採用
大衆車イメージを脱し立派になりました


第5世代
1983年〜1987
ユーザーの高齢化に対抗して若返りデザインに
加えて世界進出よるインターナショナルなデザインをめざすも
これは失敗作となりました
特に国内では不評でした


第6世代
1987年〜1991
第4世代に戻ったようなデザイン
ここから私は関わっていません


第7世代
1991年〜1995
世界標準になったカローラ
サイズが大きくなりました


第8世代
1995年〜2000




この後・・・


プリウス発売
1997年

ヴィッツ発売
1999年




時代は変わり続けても
やはり
カローラはカローラ
・・・
世界の
大衆の足となり
結果として
トヨタの
屋台骨を支えているのです!




・・・当時の社長:豊田英二著『決断―私の履歴書』から・・・

カローラはモータリゼーションの波に乗ったという見方もあるが、
私はカローラでモータリゼーションを起こそうと思い、
実際に起こしたと思っている。
トヨタはカローラのために
エンジン(上郷工場)と組立(高岡工場)の二つの工場を建設した。
うまくいったからこそ、いまごろのん気なことを言っていられるが、
もし、
モータリゼーションが起きていなければ、
今ごろトヨタは過剰設備に悩まされていただろう。



カローラ

トヨタにとって
企業理念のモデルであると同時に
ロマン
なのです!





ヴィジョンが無いと、
人々は自分勝手なことをやりだす。
御言葉(神のことば)を守る人は幸いである。
箴言  29:18 





 

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