2016年
トヨタカローラ誕生50周年
+
グローバル累計生産台数4000万台達成
トヨタカローラ誕生50周年
+
グローバル累計生産台数4000万台達成
私にとってカローラは特別思いが深い車です
トヨタに入社してはじめてデザイン開発に取り組んだ車が
第2世代カローラ
だったからです。
我が家で所有した唯一のカローラ
7代目カローラレビン
1991年〜1995年
良い燃費で良く走り サイズが最適で 運転しやすさは抜群でした
妻の車として愛用され
後に次男の車として走行距離は10万キロを超えました
名車です!
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カローラの歴史
第1世代〜現在の第11世代まで
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60003154/index.html
《トヨタ自動車75年史より》
上記の背景には・・・
1−世界に販路を広げることができる車をつくれる実力がついてきた
2−3万台を生産することでコストを下げることができることが期待できた
3−トヨタの企業理念:「大衆のための車をつくる」の実現への執念があった
4−大衆のための車としてカローラをつくり続ける覚悟がトヨタにあった
創業者:豊田喜一郎の言葉
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トヨタに入社してはじめてデザイン開発に取り組んだ車が
第2世代カローラ
だったからです。
当時のカタログより |
我が家で所有した唯一のカローラ
7代目カローラレビン
1991年〜1995年
良い燃費で良く走り サイズが最適で 運転しやすさは抜群でした
妻の車として愛用され
後に次男の車として走行距離は10万キロを超えました
名車です!
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1100ccの初代「カローラ」
昭和41年(1966年)11月
発売
「3C」と呼ばれたクーラー、カラーテレビ、カーが
新・三種の神器として国民の豊かさの象徴とされました。
日本の総人口数が1億人を突破し、いざなぎ景気の始まりでもあります。
「人々は核家族化し、郊外に住み、
マイカーを移動手段として使うようになり、
日本に爆発的なモータリゼーションの隆盛が起きる」
数年後をこのように予測したトヨタ自動車は、
高岡(愛知県豊田市)に1km四方にも及ぶカローラの専用工場を建設。
トヨタ自動車の月間生産台数が約5万台だった当時、
カローラは月間3万台を生産すると記者会見で発表。
メディアや記者たちを驚かせました。
《トヨタ自動車URLより転載》
昭和41年(1966年)11月
発売
「3C」と呼ばれたクーラー、カラーテレビ、カーが
新・三種の神器として国民の豊かさの象徴とされました。
日本の総人口数が1億人を突破し、いざなぎ景気の始まりでもあります。
「人々は核家族化し、郊外に住み、
マイカーを移動手段として使うようになり、
日本に爆発的なモータリゼーションの隆盛が起きる」
数年後をこのように予測したトヨタ自動車は、
高岡(愛知県豊田市)に1km四方にも及ぶカローラの専用工場を建設。
トヨタ自動車の月間生産台数が約5万台だった当時、
カローラは月間3万台を生産すると記者会見で発表。
メディアや記者たちを驚かせました。
《トヨタ自動車URLより転載》
カローラの歴史
第1世代〜現在の第11世代まで
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60003154/index.html
《トヨタ自動車75年史より》
上記の背景には・・・
1−世界に販路を広げることができる車をつくれる実力がついてきた
2−3万台を生産することでコストを下げることができることが期待できた
3−トヨタの企業理念:「大衆のための車をつくる」の実現への執念があった
4−大衆のための車としてカローラをつくり続ける覚悟がトヨタにあった
創業者:豊田喜一郎の言葉
我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、
日本 のあらゆる民族産業が育ちません。
それは別にトヨタでなくともいい。
けれども現状のままでは、
カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行う)に
占領されて自動車工業など芽もないように
日本も同じ道をたどります。
引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、
日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。
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2016年
に世界で最も売れた車
カローラは、94.6万台で世界1位
に世界で最も売れた車
カローラは、94.6万台で世界1位
第2位は、フォルクスワーゲンで73万台
第3位:Fordピックアップトラックで、72.8万台
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カローラ累計生産台数
1966 → 2016
海外生産・販売の拡大により
グローバルカーに
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カローラのデザイン
は
特徴がないようですが
飽きが来ません
中古車になっても古く感じさせないデザインなのです
これが・・・
これが・・・
世界中で長く何年も売れつづける理由です
実は・・・
実は・・・
基本のデザインアイデアレベルは非常に高いのです!
広告で見るカローラの歴史
「カローラ物語」から広告を転載
1997年発行 2000万台記念の時でした |
第1世代
1966年〜1970年
現在にも通じるセミファーストバックのデザインが新鮮 |
第2世代
1970年〜1974年
柔らかなデザインが好評 室内のこのクラス初の豪華なハイバックシート コーラボックスが便利 特にクーペのデザインは秀逸 |
第3世代
1974年〜1979年
セミファーストバックのデザインを継承 大きくして余裕を持たせたのが成功 |
第4世代
1979年〜1983年
三世代続いたセミファーストバックのデザインから脱却 ひとクラス上のデザインテーマを採用 大衆車イメージを脱し立派になりました |
第5世代
1983年〜1987年
ユーザーの高齢化に対抗して若返りデザインに 加えて世界進出よるインターナショナルなデザインをめざすも これは失敗作となりました 特に国内では不評でした |
第6世代
1987年〜1991年
第4世代に戻ったようなデザイン ここから私は関わっていません |
第7世代
1991年〜1995年
世界標準になったカローラ サイズが大きくなりました |
第8世代
1995年〜2000年
この後・・・
プリウス発売
1997年
1999年
時代は変わり続けても
やはり
カローラはカローラ
・・・
世界の
大衆の足となり
結果として
トヨタの
屋台骨を支えているのです!
・・・当時の社長:豊田英二著『決断―私の履歴書』から・・・
カローラはモータリゼーションの波に乗ったという見方もあるが、
私はカローラでモータリゼーションを起こそうと思い、
実際に起こしたと思っている。
トヨタはカローラのために
エンジン(上郷工場)と組立(高岡工場)の二つの工場を建設した。
うまくいったからこそ、いまごろのん気なことを言っていられるが、
もし、
モータリゼーションが起きていなければ、
今ごろトヨタは過剰設備に悩まされていただろう。
カローラ
は
トヨタにとって
企業理念のモデルであると同時に
ロマン
なのです!
ヴィジョンが無いと、
人々は自分勝手なことをやりだす。
御言葉(神のことば)を守る人は幸いである。
箴言 29:18
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