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人生にそうあることでは無いですね!
聖書には
数字に関する奇跡や不思議がたくさんあります。
今回は7の例
Ⅱ列王記に出てくるナアマン将軍の癒やし
彼はツァラアト(重い皮膚病)に冒されていました。
預言者に
「ヨルダン川へ行って7たびあなたの身を洗いなさい。」
と言われた話しです。
それは簡単な事だったのですが・・・
アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。
【主】がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。
この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。
アラムはかつて略奪に出たとき、
イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕らえて来ていた。
彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。
「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、
きっと、
あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」
それで、
ナアマンはその主君のところに行き、
イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
アラムの王は言った。
「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」
そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。
彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。
「さて、この手紙があなたに届きましたら、
実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、
実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、
彼のツァラアトを直してくださいますように。」
イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。
「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。
この人はこの男を送って、ツァラアトを直せと言う。
しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
神の人エリシャは、
イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。
「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。
彼を私のところによこしてください。
そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
こうして、
ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。
エリシャは、彼に使いをやって、言った。
「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。
そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
しかしナアマンは怒って去り、そして言った。
「何ということだ。
私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、
この患部の上で彼の手を動かし、
このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。
これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」
こうして、彼は怒って帰途についた。
そのとき、
彼のしもべたちが近づいて彼に言った。
「わが父よ。
あの預言者が、
もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、
あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。
ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
そこで、
ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。
すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
2列王記 5:1〜14
それにしても・・・
ナアマンは恵まれた人だと思う。
王様や妻そしてしもべ
ナアマンを愛する人々が周りにいたのです。
ナアマンは主君に重んじられ尊敬されていた人物だとあるので
人格者であったのでしょう。
しかし
その彼は高慢でもあったのです。
ヨルダン川に7回身をさらすことができなかったのです。
簡単過ぎたのでエリシャにバカにされたと思ったのでしょうか?
とはいえ、
しもべのアドバイスに心を改めるあたり
さすが!
ナアマンですね。
ナアマンは恵まれた人だと思う。
王様や妻そしてしもべ
ナアマンを愛する人々が周りにいたのです。
ナアマンは主君に重んじられ尊敬されていた人物だとあるので
人格者であったのでしょう。
しかし
その彼は高慢でもあったのです。
ヨルダン川に7回身をさらすことができなかったのです。
簡単過ぎたのでエリシャにバカにされたと思ったのでしょうか?
とはいえ、
しもべのアドバイスに心を改めるあたり
さすが!
ナアマンですね。
神は、助けを必要としている者たちを、
彼らの手から救われる。
こうして、
助けを必要としている者は望みを持ち、
不正はその牙を折られてしまう。
ああ、なんと幸いなことだろう、神に戒められる人。
だから、
全能者の懲らしめを軽んじてはならない。
神は傷つけても、
それを包み、切り裂いても、それをいやしてくださる。
神は六つの苦しみからあなたを救い、
七つ目の災は、
あなたに触れることがない。
ヨブ記 5:15~19
神様は
7度目の患難から
信じる者を助けて下さるのです。
聖書に出てくる数字は
基本的には文字通りの意味です。
マジックはありません。
しかし象徴的な用いられることがあります。
「7」
の場合です。
「完全性」
を象徴していると言われます。
エリコの城門はイスラエル人を恐れて、堅く閉ざされており、
だれ一人として出入りする者はなかった。
その時、主はヨシュアに仰せられた。
「わたしは、エリコの町とそこの住民たちを、すべてあなたがたの手に渡す。
あなたがた戦いに出る者たちは、
六日の間、毎日一回、町の周囲を回りなさい。
七人の祭司が雄羊の角のラッパを持って、
まず十戒の箱に先立ち、毎日町の周囲を回り、
七日目には、
七回町を回ってから、
祭司たちは一斉にラッパを吹き鳴らしなさい。
祭司たちがラッパを一きわ長く吹き鳴らしたら、
皆一斉に大声でときの声を上げる。
そうすれば、町の城壁は崩れ落ちてしまうから、町に攻め込みなさい。」
(中略)
このようにして、六日間同じことを繰り返した。
七日目には、
夜明けと共に起き出し、同じように町を七回回った。
七回回ったのは、この日だけであった。
七回回った後、
祭司たちが一きわ長くラッパを吹き鳴らすと、
ヨシュアは民に命じた。
「ときの声を上げよ。主は、この町を私たちに下さった。
(中略)
祭司たちが一きわ長くラッパを吹き鳴らすと、
民はあらん限りの大声を上げて叫んだ。
すると、
城壁が崩れ落ちたので、町になだれ込み、攻め取った。
ヨシュア記 6:1~20
最後に
イエス様の言葉を二つ。
その時、
ペテロがみもとに来て言った。
「主イエス様。
だれかが私に対してひどいことをした時、
何度まで私は赦さなければならないでしょうか。
七度も赦せば十分でしょうか。」
イエスは彼に言われた。
「わたしは、七度までなどとは言いません。
何度でも赦してあげなさい。
マタイ 18:21〜22
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。
「かわいそうに、
この群衆はもう三日間もわたしと一緒にいて、
何も食べ物を持っていません。
この人たちを、このまま帰したら、
おなかがすいて、途中で動けなくなるでしょう。
ですから、わたしはそうしたくありません。」
すると、弟子たちはイエスに言った。
「ここはへんぴな所ですから、こんなに多くの人たちを満腹させるほど、
沢山のパンを手に入れることはできません。」
イエスは彼らに言われた。
「今ここには、どれくらいのパンがありますか。」
彼らは、
「七つです。それに、わずかの小さな魚があります」と答えた。
すると、イエスは群衆に向って、
「そこで、食事ができるように用意していなさい」と命じられ、
七つのパンと魚を取り、感謝して裂かれ、
弟子たちに与えられた。
すると、弟子たちはそれを群衆に配った。
みんなの者が食べて満腹した。
余ったパンくずを拾うと、七つのかごが一杯になった。
食べた者たちは、女と子供を除いて、男だけで約四千人であった。
マタイ 15:32〜38
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