わが家は
パン食の時は
紅茶(ミルクティー)
そして
お茶
は
緑茶を和菓子受けに時々
その他に
ほうじ茶・烏龍茶・プアール茶・ビワ茶
などの健康茶
コーヒー
は1日一杯
3時のおやつタイムの時に(私は)飲んでいます。
イギリス:ミルクティー
アメリカ:コーヒー&アイスティー
フランス:カフェオレ
サウジアラビア:アラビアンコーヒー&チャイ
トルコ:トルココーヒー&チャイ
インド:チャイ
中国:緑茶&烏龍茶 他
日本:緑茶&コーヒー&紅茶(ストレートにレモンかミルクを加えて)
それぞれの国の飲み方には興味がありますね!
(その歴史にも興味があって調べてみました)
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(上の図柄とは別のデータです) |
コーヒーの世界
コーヒー先進国は
イギリスです
コーヒーハウス
は最初にオックスフォードで
ジェイコブというユダヤ人が開いたといわれています。
1650年の事です
イギリスではそれから30年間、爆発的なブームが続きました。
そして
イギリスが「紅茶の国」になったのは
実に200年後の19世紀だったのです。
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出典:珈琲の世界史より |
コーヒーハウスは
1649年の清教徒革命でイギリスは市民社会を迎え、
市民が政治談義や世間話ができる「交流の場」として格好な場所となりました。
男性は誰でも出入りOKでしたが女子禁制でした。
コーヒーの歴史
コーヒーの源流を探る事は
他の飲み物同様、研究者を長い間悩ませて来ました。
一般的に
原産はアフリカそれもエチオピアだと言われています。
9世紀頃のことです。
コーヒーが生まれたのは
キリスト教のエチオピアでしたが
はじめは薬として用いられたようです。
そして
イスラムの国へと伝搬していきました。
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出展:GoogleMap
モカ港がエチオピアに近いのでビックリ |
次に文献に登場するのは15世紀のイエメンです。
イエメンのモカ港から「モカ」の名前で輸出されていました。
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出典:珈琲の世界史より |
コーヒーの実をならせる木は「コーヒーノキ」ですが
当時はたいへん貴重でした。
そこで、イエメンは国外への持ち出しを厳禁にしました。
しかし・・・
「コーヒーノキ」は様々なルートで世界に伝えられ
コーヒー栽培が世界に拡大していきました。
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出典:珈琲の世界史より |
このようにして・・・コーヒーは
イスラムからヨーロッパに伝わり
その後世界に広がって行ったのです。
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知人から頂いたシンガポールのフレーバーコーヒー |
その後、サビ病による大被害や
コーヒー好きと言われたナポレオンの登場や
第一次・二次世界大戦による大暴落など
様々な困難がありましたが、とにかくコーヒーは世界で愛されました。
アメリカのコーヒー文化
アメリカは西部開拓時代からコーヒーが飲まれていました。
1930年代までは、地域毎に多様性があり、
南部は極深煎り・西部は比較的浅煎り・東部は深煎りでした。
しかし
焙煎会社が大規模化し、
利益優先となったためか
薄いコーヒー(アメリカンコーヒー)が主流になりました。
ところが
さすがに時代の変化に伴い
深煎りの高品質コーヒー「スペシャルコーヒー」
が生まれます。
1971年ワシントン州シアトルで創業の「スターバックス」です。
2015年には
世界90カ国で営業し、店舗数は22,519店。
海外初の出店は
1996年
日本でした。
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創業当時 |
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現在 |
日本のコーヒー文化
日本は、コーヒー後進国です。
江戸時代は鎖国のため、
コーヒーが飲まれたのは、かろうじて出島だったとの記録があります。
1858年に
オランダから正式に輸入され始めました。
最初の喫茶店は
1888年に上野の黒門町で「可否茶館(カヒサカン)」が開店しました。
しかし時代を先取りし過ぎたようで、
経営難のために4年で廃業してしまいました。
その20年後
カフェー文化が台頭してきました。
成功したのが
1911年に銀座に開業した
「カフェー・パウリスタ」です。
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カフェー・パウリスタのパンフレットから |
ブラジル移民の父といわれた水野 龍(リョウ)が開いた店です。
水野は、サンパウロ州政府から日本人の移民に貢献した見返りに
コーヒー豆の無償提供を受けることになったのです。
それは3年の予定が、12年間続きました。
大正から昭和半ばまで
「カフェ」でなく「カフェー」と使ったのは、
料理屋等を含む、水商売系の業態を「カフェー」と呼んだからです。
「カフェー」から、お酒を出さない「カフェ」へ
そして「純喫茶」へ
コーヒーがメニューの基本である、健全路線への転換でした。
1930年頃のことです。
戦前のコーヒーブームの最盛期も
第二次世界大戦のために終焉を迎えます。
そして戦後
1950年にコーヒー豆の輸入が始まりました。
1960年生豆の輸入が自由化しますが
日本は長い間、良質の豆が入手出来ず
そのため・・・
安い豆を如何に美味しく飲むか、
という日本人らしい研究が
独自のコーヒー文化を発展させたように思います。
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典型的な純喫茶のお店
出典:喫茶明正堂のホームページ |
純喫茶の競争で、各お店は「コーヒーのおいしさ」に懲りました。
彼らが最初に力を入れたのは「抽出」でした。
いわゆる
「一杯淹て(ダテ)」です。
これは世界的に見て極めて稀なことで、
そもそも海外においては・・・
コーヒーは人の交流のための単なる飲み物であり
味は二の次だったからです。
因みに
アメリカに「一杯淹て」が誕生したのは
21世紀になってからでした。
さらに味に対する日本人のこだわりは、
「自家焙煎」に繫がっていきました。
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自家焙煎機を備えたお店 |
経営セミナーでUCCの社長から直接聞いたことですが、
1980年代になって・・・
「日本もようやくドイツ並みの高品質な豆を売ってもらえるようになった」
と言っていました。
日本のコーヒー文化への貢献
1)インスタントコーヒー
発明者は日本人です。
1903年、アメリカに住んでいた化学者の加藤サトリ博士が
特許を取得したと言われています。
しかし
実用化にはいたらず
はじめて本格的に実用化したのは
ガアテマラ在住のベルギー人ジョージ・ワシントンだった
ことは間違いないと臼井 隆一郎氏は書いています。
その後
ネスレ社が、8年の際月をかけて完成したのが
「スプレードライ方式」です。
これがネスカフェで、世界的に大ヒットしました。
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1901年、 パンアメリカン博覧会で配られた Kato Coffee Co.のパンフレット表紙 |
私はインドでおもしろい体験をしました。
通訳の青年が、高級ホテルの喫茶室で
インスタントコーヒーを注文したのです。
「だってこの方が濃さを調節できるだろう!
だからレギュラーコーヒーより、こちらの方が高級なんだ。」と
実は、インスタントコーヒーを最も珍重したのは、
第一次世界大戦でヨーロッパ戦線で戦っていた
アメリカ兵士だった、という説もあります。
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インターネットより |
2)缶コーヒー
発明し実用化したのは日本人です。
1958年と1965年に缶コーヒーの販売がありましたが
成功しませんでした。
現在のような缶コーヒーは、1969年に上島珈琲が発売した
「ミルク入り缶コーヒー」。
ホットにもでき年間販売できた缶コーヒーの元祖は
1973年にポッカコーポレーションが発売し大ヒットになりました。
缶コーヒーは日本独自の商品ですが
犯罪の少ない国柄か?
多くの自動販売機によって売られています。
3)サードウェーブ
欧米で言われる珈琲のムーブメントで、
19世紀後半から1960年代における急速に家庭に広まった時期を
ファーストウェーブ
1960年代から2000年頃にかけてスターバックスなどの
シアトル系コーヒーに代表される流行を指すのが
セカンドウェーブ
サードウェーブ
は豆の地域性や焙煎の仕方や器具にもに凝って
一杯づつ美味しいコーヒーを楽しもうという流行です。
日本は昭和の時代、元々このような味や香り重視の傾向があったので
サードウェーブ・モーブメントに大いに影響を与えたように思います。
現在の日本のコーヒーを取り巻く環境は
歴史上、最も恵まれた状況にあるようです。
この状況を継続するために
これからは
コーヒー豆の生産や流通の
「フェアトレード」や「エコロジー」の考慮に続き
「サステイナビリティ(持続可能性)」
に取り組んで行くことが求められています。
参考資料
ですから、
神様の事を、いつも第一にしなさい。
そうすれば、
衣食住は、
天にいらっしゃるお父様が必ず面倒を見てくださいます。
こういうわけで、
明日のことを心配する必要はありません。
いつでもその日その日を精一杯生きればよいのです。
(現代訳)
マタイの福音書 6:33-34