𠮷住 登医師の
自分史を
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特別寄稿
私の最近の心情〜私は死んでいる?
𠮷住 登
「こういうわけで、もしあなたがたが
キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい」
(コロサイ人への手紙3章1節)
ここでパウロは「キリストとともによみがえらされる」と語っています。
しかし、
よみがえらされる以前に、死ぬことが前提です。
当然、キリストと共に、です。
それは、死の世界から真のいのちの世界へと移されることです。
「あなたがたは、地上のものを思わず、
天にあるものを思いなさい」
(コロサイ人への手紙3章2節)
口語訳聖書では、
「地上のものに心をひかれてはならない」と訳しています。
わたしはこちらの方が正しい訳だと思います。
地上のものに心をひかれるとは、どういうことでしょうか。
そこには、死に切れていないわたしが居ます。
これは、わたしが「この世」に縛られている姿であります。
パウロも
「私はすでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません」
(ピリピ人への手紙3章12節)
と、死に切ったパウロも時々死に切れていない自分を発見したと思います。
わたしたちは、この言葉に甘えてはなりません。
「あなたがたはすでに死んでおり、
あなたがたのいのちは、
キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
私たちのいのちであるキリストが現われると、
そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます」
(コロサイ人への手紙三章三〜四節)
パウロは、再びここで云っています。
あなたがたはすでに死んだものであると、
死ぬことによって「この世」から解放されているのです。
そして、
「互いのいのち」は、キリストとともに神のうちに隠されている、
とパウロは語ります。
今はまだ完全ではないが、キリストが再び来られる時、
わたしも又完全にされると云っていると思います。
「互いに偽りを言ってはいけません。
あなたがたは、
古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです」
(コロサイ人への手紙3章9〜10節)
ですから、
古い自分を着たままで、
新しい自分であるキリストを着る事はできないのです。
脱ぐことは、死ぬことです。
キリストを信じて生きるとは、
キリストがすべてであるような生き様へと変えられることです。
キリストがすべてであり、
「キリストとともに死に、キリストとともに生きる」
ことです。
老年になった私の歩みを思うとき、
年々この心境に近づいているように感じます。
この本を発行するに当たってのわたしの思いです。
ヘンリー・マチス「マチスの礼拝堂」より |
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