2018年5月14日月曜日

ライフデザイン:羽鳥明師のメッセージ−Ⅱ

                
昨年(2017年)4月10日
に96歳で天に帰られた
羽鳥 明牧師のショートメッセージの
第2章をご紹介します



羽鳥 明 師
ショートメッセージ Ⅱ





狭い心・広い心



あなたの心は、「広い心」でしょうか。それとも「狭い心」でしょうか。
「広い世間を狭くする」という言葉がありますが、
私たちが、狭い心で生きると、
神様が造られたこの広大無辺な広い世界を、
狭く不自由な世界にして、過ごさなければなりませんね。
広い心とはどんな心かを知るために、
まず
「狭い心」とは一体どんな心かを考えてみましょう。




劣等感で狭くなった心


私の友人で、マッサージ・鍼・灸の名人の方がいます。
彼女は、
おじいさんから背負わされた悪い病気のため、
子どもの頃から
手は曲がり、顔中ケロイド状、その上、耳も目も悪かったのです。
正直言って、目をそむけたくなる容貌でした。

彼女は、自分の醜さを恥じました。
祖父をのろいました。
父も母も、自分を厄介者にすると思ってひがみました。
いつの間にか、
彼女は大を避け、心を固く閉ざし、人を受け入れず、
みじめな、孤独な、ひねくれ者になってしまったのです。
人を受け入れないばかりか、
彼女は、自分自身を素直に受け取ることすらできない、
狭い心の持ち主になっていたのです。

「私のような者は、誰も愛してもくれないし、認めてもくれないんだ」
彼女は自分自身を嫌悪し、のろいました。
彼女は人目を避けるように、
マッサージ師の所に弟子入りしたのですが、
その主人も彼女をまるで価値なき者のごとく、
無給、無休で13年間こき使いました。

そんな彼女が、
ある時、
近所で開かれたキリスト教の集会に出てみました。
大きな期待も持たず、
人目を忍んで行ったそこが、祝福への道だったのですね。
そこで、生まれてはじめて、
「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。
……私はその罪人のかしらです」
(テモテヘの手紙第一I章15節)
という聖書のことばを聞きました。
こんな醜い罪人の私まで、神様は愛してくださるんだ!
彼女は勇気を出して、
キリスト様の胸を目掛けて飛び込んだのです。

すると、
不思議ではありませんか。
今までの卑屈な心、劣等感が消え去りました。
ありのままの自分が受け入れられるようになりました。
他の人を素直に心に受け入れるようになりました。
するとひと様も彼女を受け入れ始めたのです。

今では、
ひとに頼られる鍼灸マッサージの名手として、
明るく生活をしているのです。

神よ。
私はあなたの仰せの道を走ります。
あなたが私の心を広くしてくださるからです。
(詩篇119編32節





エゴイズムで狭くなった心


使徒パウロは、
コリントの町の人々に手紙を書き送って、こう言いました。
「あなた方は、私たちの中で制約を受けているのではなく、
自分の心で自分を窮屈にしているのです」
(コリント人への手紙第二 6章12節)

この世の中には、
外的にあなたの自由を奪う要因がたくさんありましょう。
しかし、
あなたの世間を狭くするナンバーワンの要因は、
あなたの心のエゴイズムです。

ある大きなマンションで、子どもたちが遊んでいましたが、
そのうちのひとりが、
エレベーターを独占して、ほかの子どもを乗せません。
乗せてくれとせがむのを突き飛ばし、
彼は、
その狭いエレベーターをひとりで、
昇ったり降りたりしていました。
他の子どもたちは他の場所でわいわい面白そうに遊び始めました
しかし、
その子はエレベーターを守るために、外へ出られません。
暗い竪穴を、ただ上ったり下ったりしていたのです。
これこそ、
エゴイズムで狭くなった心の絵ではないでしょうか。

ヨセフが、身重のマリヤを連れて、ベツレヘムに到着し、
今にも生まれそうで困っている時、訪ねた家々は、
「おあいにくだね」「隣りを聞いてみてくれ」「満室だよ」
と言って断りました。
それで、
イエスーキリストは、家畜小屋で生まれることになったのです。

 聖書には、
「彼らのいる場所がなかった」と記してありますが、
家にスペースがなかったのではありません。
狭かったのは、エゴイズムで狭くなった彼らの心だったのですね。
 私たち人間は、
罪(エゴイズム)で心を狭くし、
この素晴らしい神様の造られた広い世界を、
お互いにぶつかりながら、
暗い竪穴を上ったり下ったりの、
つまらない生き方をしているのです。

あなたの心を開いて、神様を迎え入れてごらんなさい。
全世界の祝福、全世界の美しさを、包みこむような広い、
ゆったりした心になるのです。

「神は……海辺の砂浜のように、広い心とを与えられた」
(列王記第一 4章29節



広い心

広い心は、
第一に、人を赦し受け入れる心です。
「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、
互いに赦し合いなさい。
主が
あなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」
(コロサイ人への手紙 3章13節

海が、どんな泥水をも受け入れて浄化しようとするように、
キリストに赦された心は、広い心となるのです。

第二に、広い心は、
人をもてなし、人を世話する気前のいい心です。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」
(ヨハネの手紙第一 3章16節)


私たちのご近所に、ご自分の事業は火の車なのに、
いつも困った人たちを預かり、
人々をもてなし、
笑い声の絶えないご家族があります。

その奥義は?
「この奥義とは、
あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです」
(コロサイ人への手紙 1章27節

















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