2015年5月7日木曜日

ライフデザイン:NPO「燈台」報告会




今年も
  NPO「燈台 アフガン難民救援協力会」
の第28回報告会があります。

6月20日(土)
午後2時〜
お茶の水クリスチャンセンター




小中高校の学校校舎建設から
今は
多くの男女の子どもたちが学んでいます。
その報告を浜田現地代表が映像を含めて報告致します。

また
コンサートも素晴らしいですョ!


岩本正樹さんと国分友里恵さん
ご夫妻の賛美に期待しましょう!


最新の「燈台・ニュースレター」をどうぞ






・・・あなたの隣人は誰ですか?・・・

法律の専門家は、自分がある種の人々を愛していないことを正当化しようと、
「ですが……、隣人とはだれのことで?」と聞き返しました。

イエスは直接答える代わりに、例をあげて説明なさいました。
「エルサレムからエリコへ旅をしていたユダヤ人が、強盗に襲われました。
 強盗どもは、身ぐるみはぎ取り、あり金全部を奪うと、
殴ったり、蹴ったりして半殺しにし、
道ばたに放り出してさっさと逃げて行きました。

ちょうどそこへ、ユダヤの祭司が通りかかりました。 
ふと見ると、旅人が倒れています。
 でも、
めんどうに巻き込まれたくなかったので、
そそくさと道の反対側へ回り、何くわぬ顔で通り過ぎてしまいました。

しばらくすると、
今度はレビ人〔神殿で奉仕する人〕が通りかかりましたが、
彼も、倒れている旅人を横目でちらっとながめただけで、
行ってしまいました。

ところが、
常日頃ユダヤ人に軽べつされていたサマリヤ人が、
たまたま通りかかり、旅人を見つけました。 
気の毒な有様に、心から同情したサマリヤ人は、
急いでそばにひざまずき、傷口に薬をぬり、包帯を巻いて応急手当をしました。
 それから、
自分のろばに乗せ、宿屋まで運んで、一晩中、看病してあげました。
翌日、宿屋の主人に6,600円渡し、『あの人を介抱してあげてください。
 足りない分は、帰りに寄ってお払いしますから』とくれぐれも頼みました。

この三人のうちだれが、
強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
「もちろん、親切にしてやった人です。」
この答えを聞くと、イエスは言われました。 
「そのとおりです。 あなたも同じようにしなさい。」

ルカの福音書 10:30〜37
《リビングバイブルより》

2015年5月6日水曜日

ライフデザイン:BEST of the BEST

ブリヂストン美術館
本社ビルの2階が美術館です

本社ビルが 5月18日から新築工事に入るため、長期旧館になるという。
そこで企画されたのが
「BEST of the BEST展」
本当に久しぶりにこの美術館を訪ねました。

1950年(昭和25年)に 石橋正二郎氏は初めて渡米した際に
10 数の美術館を見学した時・・・
その中で最も感銘を受けたのが「ニューヨーク近代美術館」でした。

彼は帰国後すぐに、
東京京橋に建設中だったブリヂストン本社ビル2階に
美術館をつくることを決断しました。
63年前
1952年(昭和27年)1月8日にオープン!
《サンフランシスコ条約締結の年》



国立西洋美術館が開館したのが1959年ですから
それに先駆けたのはすごいですね。

開館記念展の時の収集作品は、西洋絵画55点・日本近代洋画55点・彫刻9点
の119点でした
現在のコレクションは2,585点にのぼります
今回の展覧会では160点が展示されています




それでは作品集を絵葉書とカタログからご紹介しましょう

アンリ・ルソー『牧場』1910年

ルノワール
『すわるジョルジェット•シャルパンティエ嬢』
1876年


青木 繁「海の幸」1904年


ザオ•ウーキー「07.06.85」1985年


ポール•セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー•ノワール」
1904-06年頃


クロード•モネ「黄昏、ヴェニス」1908年頃


ポール•セザンヌ「帽子をかぶった自画像」
1890-94年頃


ジョルジュ•ルオー「郊外のキリスト」
1920-24年


クロード•モネ「睡蓮」1903年





・・・イエス・キリストのたとえ話・・・

天国はまた、他国へ出かけたある人の例で説明できます。
 彼は出発前に、使用人たちを呼び、
『さあ、元手をやるから、これで留守中に商売をしろ』と、
それぞれにお金を預けました。

めいめいの能力に応じて、
一人には150万円、ほかの一人には60万円、もう一人には30万円というふうに。 
こうして、彼は旅に出ました。
150万円受け取った男は、それを元手にさっそく商売を始め、
じきに150万円もうけました。

60万円受け取った男もすぐ仕事を始め、
60万円もうけました。

ところが、30万円受け取った男は、
地面に穴を掘ると、その中にお金を隠してしまいました。

だいぶ時がたち、主人が帰って来ました。
すぐに使用人たちが呼ばれ、清算が始まりました。

150万円預かった男は 300万円を差し出しました。
主人は彼の働きをほめました。 
『おまえはわずかなお金を忠実に使ったな。
 今度はもっと大きな責任のある仕事をやろう。 私といっしょに喜んでくれ。』

次に、60万円受け取った男が来て、報告しました。 
『ご主人様。 ごらんください。 あの60万円を倍にしました。』
『よくやった。 おまえはやり手で、しかも忠実なやつだ。
 わずかなお金を忠実に使ったから、次はもっとたくさんの仕事をやろう。』
主人はこの男もほめてやりました。

最後に、30万円受け取った男が進み出て、言いました。 
『ご主人様。 あなた様はたいそうひどい方でございます。 
私は前々から、それを存じ上げておりましたから、
せっかくお金をもうけても、あなた様が横取りなさるのではないかと、
こわくてしかたがなかったのです。 
それで、あなた様のお金を土の中に隠しておきました。 
はい、これがそのお金でございます。』

これを聞いて、主人は答えて言いました。
『なんという悪いやつだ! なまけ者めが!
 私がおまえのもうけを取り上げるのが、わかっていたというのか。
だったら、せめて、そのお金を銀行にでも預金しておけばよかったのだ。
そうすりゃあ、利息がついたじゃないか。
さあ、こいつのお金を取り上げて、300万円持っている者にやってしまえ。

与えられたものを上手に使う者にはもっと多くのものが与えられて、
ますます豊かになる。 
だが不忠実な者は、与えられたわずかなものさえ取り上げられてしまうのだ。
 役立たずは、外の暗やみへ追い出してしまえ。
そこで、泣きわめくなり、歯ぎしりしてくやしがるなりするがいい。』
マタイの福音書 25:14 ~ 25:30
(リビングバイブルより)







2015年5月2日土曜日

ライフデザイン:感謝

人生の歩みの中でたいせつな言葉を拾ってみました!
------その1------
感謝

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「感謝する」ことは大切なことだ!
とは誰でも思うことですが・・・
現実は忘れていることが多いのではないでしょうか?

ともかくも、生きていることが感謝。
妻に感謝
家族に感謝
近隣の方々に感謝
友人に感謝
そして
見知らぬ人々に感謝!
・・・

感謝の表現は“ことば”にすることも大切ですね。
その代表的な“ことば”が
「ありがとう」
でしょう。

かつてイギリスに住んだときにたくさん聞いた“ことば”が
「Thank You」
「ありがとう」と同じ意味ですが、レストランでもお店でも
お客さんの方が「Thank You」を言うのには驚きました。
気持ち良いものですね。
日本に帰ってから
私もコンビニでもどこでももちろん我が家でも
できるだけ「ありがとう」をいう事を心がけています。

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「ありがとう」の語源
・・・『ありがとう』の由来、語源について・・・

【有難い】

「アリガタイ」は、
もったいない、とか、感謝したい、という気持ちをあらわした言葉です。
『存在が難しい』ということから、めったにない事を感謝する、
という意味になりました。

もとは、神を称える言葉でした。

室町時代頃は、
『法悦の感激』を示す意で用いられました。
その頃、感謝する意としては、「カタジケナイ」を用いていました。
ちなみに、尼門跡では「カタジケノー」といいます。
元禄時代以降、宗教的意味を含む「アリガタイ」が感謝の語になりました。

【有難う】

「アリガトウ」は、感謝の気持ちを示す言葉です。
「有難う」は、もとは、文字通り、「有り得ないこと」でした。
あるのが不思議、ゼッタイ、アリエナ~イ。

「あり得ない」、という意味でした。
存在が難しい、「有難う」の意味は、『枕草子』にみられます。

『枕草子』七十二段
に、こうあります。
現代語に訳すと、こうなります。

めったにないもの。
舅にほめられる婿。また、姑にかわいがられるお嫁さん。
毛のよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わ ぬ従者。
全然、欠点のない人。
容貌、心、風姿態度がすぐれていて、
世間にまじわって一向に非難を受けることの ない人。
同じ所に奉公住みしている人で、お互いに面と向かって顔も合わさず、
すこしの油断もなく気を 使っているといった人はついぞ居ないものだが、
ほんにこんな人はめったにいない。
物語や歌集など書き写す時、そのもとの本に墨をつけない人。
豪華な本などはたいそう気を使って書き写 すのだけれども、
きまってと言っていいほど、よごしてしまうようだ。
男と女の間柄については言うまでもない。
女どうしでも、行末長くと契って仲よくつき合っている人で、 
終わりまで仲のよいことは、めったにない。

もともとは、人間業を超えた『神の徳や力』を称えた言葉でした。
室町時代には、神を称え、仏の道を聞いて、感激する意で用いられていました。
滅多にないことを感謝する意味になったのは、元禄時代ごろからでした。
このように、
もともとは、神仏に対して用いていたのが、人に対する礼の言葉になったのです。

※出典:語源大辞典(東京堂出版)

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聖書の中に感謝153箇所に出てきます
旧約聖書で82箇所
新約聖書で71箇所
特に詩編(旧約聖書)では「感謝」が55編に出てきます
そのほとんどがダビデ王によるのではないでしょうか



(天地創造の神)よ。
私は心の底からあなたに感謝し、
あなたのすばらしい御業をすべて宣べ伝えます。
詩篇 9:1 


主は私の力、私を守る盾である。
私の心は主に寄り頼み、私は助けられた。
それで、
私は大いに喜び、賛美の歌をささげて、主に感謝しよう。
詩篇 28:7 


主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
詩篇 118:1


私は、あなたをほめたたえます。
あなたが私を造られたその御業は、実に驚異です。
私は、そのことをよく知っています。
詩篇 139:14 

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・・・5000人以上の群衆に食事を配給した奇跡・・・
(イエスが神に感謝して起こした奇跡)

弟子たちはイエスに言った。
「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
すると、イエスは言われた。
「それを、ここに持って来なさい。」
そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、
五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、
パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、
弟子たちは群衆に配った。
人々はみな、食べて満腹した。
そして、
パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。
食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。
マタイ 14:17〜21


これらすべてのゆえに、どう神様に感謝したらよいでしょう。
 神様は、主イエス・キリストによって、
私たちに勝利を与えてくださるのです。
Ⅰコリント 15:57


キリストの平和が、
あなたがたの心を支配するようにしなさい。
そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。
また、感謝の心を持つ人になりなさい。
コロサイ 3:15 


そして・・・
私にとって日々の糧となっている聖書のことば”

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、
キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
1テサロニケ 5:16 〜18