2018年7月30日月曜日

ライフデザイン:この世の支配

興味深い本です。
今の世界の理解と将来が垣間見えます。

著者



読みやすい編集! が先ず気に入りました。
ドンドン読めます。
事例も分かりやすさを助けています。
著者本人の個性的な主張に説得力があります。
仮説をズバリと言うからでしょうか。

GAFA (Google/Apple/facebook/amazon)が
人々がしたいこと、世の中に欲しいことを、
コストや失敗を恐れず取り組むところは日本と反対ですごい。
日本は、まず「これをするにはいくらかかるか」からはじめますから。
GAFAは、「お金は要らない」 と言いながら、そうではないところが怖い?
極めて戦略的なのだろうけれど、心がないわけではないらしい?

この様な支配的な世界で
日本はこれからどうなるのだろう? 
と誰もが不安に思うのでは?

聖書的な視点で、どう評価し理解するか?
私は、現代の世が、黙示録の世界に近づいていることを強く感じました。










 私がまた見ていると、新天地があった。
今までの天と地は過ぎ去り、海はもう無かった。
私がまた見ていると、
聖い都、新しいエルサレムである教会が、
夫であるキリストのために飾られた花嫁のように用意を整えて、
神のみもとから出て、天から降って来た。

その時、
私は、御座から大きな声がこう言うのを聞いた。
「さあ、神様の住いが人々の中にある。
神様は人々と共に住み、
人々は神様の民となり、
神様自ら人々と共におられて、
人々の目から涙を全くぬぐい取ってくださる。
もう死も、悲しみも、叫びも、苦しみも無い。
今までの世界はすべて過ぎ去ってしまった。」


すると、
御座に着いておられる方が言われた。
「さあ、わたしはすべてを新しくする。」
また言われた。
「書き留めなさい。これらの言葉は、信ずべきものであり、真実である。」
また言われた。
「成就すべきものはすべて成就した。
わたしはあらゆるものの初めであり、また終りである。


小羊(イエス・キリスト)の礼拝
出典:「ペアトゥスの黙示録注釈」写本より(8世紀)

わたしは、
心の渇いている人には、命の水の泉から、ただで飲ませてあげよう。
勝利を得る人は、
新天地の祝福をすべて受けることができる。
わたしはその人の神となり、その人はわたしの子供となる。

ヨハネの黙示録 21:1~7





2018年7月20日金曜日

ライフデザイン:コーヒーの世界

わが家は
パン食の時は
紅茶(ミルクティー)
そして
お茶

緑茶を和菓子受けに時々
その他に
ほうじ茶・烏龍茶・プアール茶・ビワ茶
などの健康茶
コーヒー
は1日一杯
3時のおやつタイムの時に(私は)飲んでいます。



各国の主な飲み物は・・・

イギリス:ミルクティー
アメリカ:コーヒー&アイスティー
フランス:カフェオレ
サウジアラビア:アラビアンコーヒー&チャイ
トルコ:トルココーヒー&チャイ
インド:チャイ
中国:緑茶&烏龍茶 他
日本:緑茶&コーヒー&紅茶(ストレートにレモンかミルクを加えて)

それぞれの国の飲み方には興味がありますね!
(その歴史にも興味があって調べてみました)









(上の図柄とは別のデータです)



コーヒーの世界

コーヒー先進国はイギリスです
コーヒーハウス
は最初にオックスフォードで
ジェイコブというユダヤ人が開いたといわれています。
1650年の事です
イギリスではそれから30年間、爆発的なブームが続きました。
そして
イギリスが「紅茶の国」になったのは
実に200年後の19世紀だったのです。

出典:珈琲の世界史より


コーヒーハウス
1649年の清教徒革命でイギリスは市民社会を迎え、
市民が政治談義や世間話ができる「交流の場」として格好な場所となりました。
男性は誰でも出入りOKでしたが女子禁制でした。



コーヒーの歴史

コーヒーの源流を探る事は
他の飲み物同様、研究者を長い間悩ませて来ました。
一般的に
原産はアフリカそれもエチオピアだと言われています。
9世紀頃のことです。





コーヒーが生まれたのは
キリスト教のエチオピアでしたが
はじめは薬として用いられたようです。
そして
イスラムの国へと伝搬していきました。



出展:GoogleMap
モカ港がエチオピアに近いのでビックリ

次に文献に登場するのは15世紀のイエメンです。
イエメンのモカ港から「モカ」の名前で輸出されていました。

出典:珈琲の世界史より

コーヒーの実をならせる木は「コーヒーノキ」ですが
当時はたいへん貴重でした。
そこで、イエメンは国外への持ち出しを厳禁にしました。
しかし・・・
「コーヒーノキ」は様々なルートで世界に伝えられ
コーヒー栽培が世界に拡大していきました。


出典:珈琲の世界史より


このようにして・・・コーヒーは
イスラムからヨーロッパに伝わり
その後世界に広がって行ったのです。


知人から頂いたシンガポールのフレーバーコーヒー



その後、サビ病による大被害や
コーヒー好きと言われたナポレオンの登場や
第一次・二次世界大戦による大暴落など
様々な困難がありましたが、とにかくコーヒーは世界で愛されました。




アメリカのコーヒー文化

アメリカは西部開拓時代からコーヒーが飲まれていました。
1930年代までは、地域毎に多様性があり、
南部は極深煎り・西部は比較的浅煎り・東部は深煎りでした。
しかし
焙煎会社が大規模化し、
利益優先となったためか
薄いコーヒー(アメリカンコーヒー)が主流になりました。
ところが
さすがに時代の変化に伴い
深煎りの高品質コーヒー「スペシャルコーヒー」
が生まれます。

1971年ワシントン州シアトルで創業の「スターバックス」です。
2015年には
世界90カ国で営業し、店舗数は22,519店。

海外初の出店は
1996年
日本でした。


創業当時
現在




日本のコーヒー文化

日本は、コーヒー後進国です。
江戸時代は鎖国のため、
コーヒーが飲まれたのは、かろうじて出島だったとの記録があります。
1858年に
オランダから正式に輸入され始めました。

最初の喫茶店は
1888年に上野の黒門町で「可否茶館(カヒサカン)」が開店しました。
しかし時代を先取りし過ぎたようで、
経営難のために4年で廃業してしまいました。

その20年後
カフェー文化が台頭してきました。
成功したのが
1911年に銀座に開業した
「カフェー・パウリスタ」です。


カフェー・パウリスタのパンフレットから

ブラジル移民の父といわれた水野 龍(リョウ)が開いた店です。
水野は、サンパウロ州政府から日本人の移民に貢献した見返りに
コーヒー豆の無償提供を受けることになったのです。
それは3年の予定が、12年間続きました。





大正から昭和半ばまで
「カフェ」でなく「カフェー」と使ったのは、
料理屋等を含む、水商売系の業態を「カフェー」と呼んだからです。

「カフェー」から、お酒を出さない「カフェ」へ
そして「純喫茶」へ
コーヒーがメニューの基本である、健全路線への転換でした。
1930年頃のことです。
戦前のコーヒーブームの最盛期も
第二次世界大戦のために終焉を迎えます。



そして戦後
1950年にコーヒー豆の輸入が始まりました。
1960年生豆の輸入が自由化しますが
日本は長い間、良質の豆が入手出来ず
そのため・・・
安い豆を如何に美味しく飲むか、
という日本人らしい研究が
独自のコーヒー文化を発展させたように思います。




典型的な純喫茶のお店
出典:喫茶明正堂のホームページ

純喫茶の競争で、各お店は「コーヒーのおいしさ」に懲りました。
彼らが最初に力を入れたのは「抽出」でした。
いわゆる
「一杯淹て(ダテ)」です。

これは世界的に見て極めて稀なことで、
そもそも海外においては・・・
コーヒーは人の交流のための単なる飲み物であり
味は二の次だったからです。
因みに
アメリカに「一杯淹て」が誕生したのは
21世紀になってからでした。







さらに味に対する日本人のこだわりは、
「自家焙煎」に繫がっていきました。



自家焙煎機を備えたお店


経営セミナーでUCCの社長から直接聞いたことですが、
1980年代になって・・・
「日本もようやくドイツ並みの高品質な豆を売ってもらえるようになった」
と言っていました。



日本のコーヒー文化への貢献

1)インスタントコーヒー

発明者は日本人です。
1903年、アメリカに住んでいた化学者の加藤サトリ博士が
特許を取得したと言われています。
しかし
実用化にはいたらず
はじめて本格的に実用化したのは
ガアテマラ在住のベルギー人ジョージ・ワシントンだった
ことは間違いないと臼井 隆一郎氏は書いています。

その後
ネスレ社が、8年の際月をかけて完成したのが
「スプレードライ方式」です。
これがネスカフェで、世界的に大ヒットしました。


1901年、
パンアメリカン博覧会で配られた
Kato Coffee Co.のパンフレット表紙

私はインドでおもしろい体験をしました。
通訳の青年が、高級ホテルの喫茶室で
インスタントコーヒーを注文したのです。
「だってこの方が濃さを調節できるだろう!
だからレギュラーコーヒーより、こちらの方が高級なんだ。」と

実は、インスタントコーヒーを最も珍重したのは、
第一次世界大戦でヨーロッパ戦線で戦っていた
アメリカ兵士だった、という説もあります。

インターネットより



2)缶コーヒー

発明し実用化したのは日本人です。
1958年と1965年に缶コーヒーの販売がありましたが
成功しませんでした。
現在のような缶コーヒーは、1969年に上島珈琲が発売した
「ミルク入り缶コーヒー」。

ホットにもでき年間販売できた缶コーヒーの元祖は
1973年にポッカコーポレーションが発売し大ヒットになりました。




缶コーヒーは日本独自の商品ですが
犯罪の少ない国柄か?
多くの自動販売機によって売られています。


3)サードウェーブ
欧米で言われる珈琲のムーブメントで、
19世紀後半から1960年代における急速に家庭に広まった時期を
ファーストウェーブ

1960年代から2000年頃にかけてスターバックスなどの
シアトル系コーヒーに代表される流行を指すのが
セカンドウェーブ

サードウェーブ
は豆の地域性や焙煎の仕方や器具にもに凝って
一杯づつ美味しいコーヒーを楽しもうという流行です。
日本は昭和の時代、元々このような味や香り重視の傾向があったので
サードウェーブ・モーブメントに大いに影響を与えたように思います。



現在の日本のコーヒーを取り巻く環境は
歴史上、最も恵まれた状況にあるようです。
この状況を継続するために
これからは
コーヒー豆の生産や流通の
「フェアトレード」や「エコロジー」の考慮に続き
「サステイナビリティ(持続可能性)」
に取り組んで行くことが求められています。



参考資料









ですから、
神様の事を、いつも第一にしなさい。
そうすれば、
衣食住は、
天にいらっしゃるお父様が必ず面倒を見てくださいます。
こういうわけで、
明日のことを心配する必要はありません。
いつでもその日その日を精一杯生きればよいのです。
(現代訳)
マタイの福音書 6:33-34






2018年7月17日火曜日

ライフデザイン:今日の聖書


おおわれているもので、
現されないものはなく、
隠されているもので
知られずに済むものはありません。
マタイの福音書 10:26




わが家から夜空の月と星

この聖書の言葉こそ
真理を突いています。
この世の隠し事は・・・
神によって、明らかにされるというのです。

神を恐れて生きることは大切なことです!
最近では嘘が政治の世界でも蔓延していますね。

真理の神さまが働いてくださる事を信じましょう。






2018年7月12日木曜日

ライフデザイン:𠮷住医師の自分史

𠮷住 登医師の
自分史を
作成するお手伝いをしました。

2014/8発行
自分の人生と信仰紹介


2016/12発行
旧約聖書「創世記」からのメッセージ集


2017/5発行
新約聖書のメッセージ集


2018/6発行
自分史とアフガン難民救援活動
+日本バイブルホーム物語




特別寄稿    
         
私の最近の心情〜私は死んでいる?
                         𠮷住 登

「こういうわけで、もしあなたがたが
キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい」
(コロサイ人への手紙3章1節)

 ここでパウロは「キリストとともによみがえらされる」と語っています。
しかし、
よみがえらされる以前に、死ぬことが前提です。
当然、キリストと共に、です。
それは、死の世界から真のいのちの世界へと移されることです。


「あなたがたは、地上のものを思わず、
天にあるものを思いなさい」
(コロサイ人への手紙3章2節)

口語訳聖書では、
「地上のものに心をひかれてはならない」と訳しています。
わたしはこちらの方が正しい訳だと思います。
地上のものに心をひかれるとは、どういうことでしょうか。
そこには、死に切れていないわたしが居ます。
これは、わたしが「この世」に縛られている姿であります。

 パウロも
「私はすでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません」
(ピリピ人への手紙3章12節)

と、死に切ったパウロも時々死に切れていない自分を発見したと思います。

 わたしたちは、この言葉に甘えてはなりません。
「あなたがたはすでに死んでおり、
あなたがたのいのちは、
キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
私たちのいのちであるキリストが現われると、
そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます」 
(コロサイ人への手紙三章三〜四節)

 パウロは、再びここで云っています。 
あなたがたはすでに死んだものであると、
死ぬことによって「この世」から解放されているのです。
そして、
互いのいのち」は、キリストとともに神のうちに隠されている、
とパウロは語ります。
今はまだ完全ではないが、キリストが再び来られる時、
わたしも又完全にされると云っていると思います。

「互いに偽りを言ってはいけません。
あなたがたは、
古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです」 
(コロサイ人への手紙3章9〜10節)
ですから、
古い自分を着たままで、
新しい自分であるキリストを着る事はできないのです。
脱ぐことは、死ぬことです。

キリストを信じて生きるとは、
キリストがすべてであるような生き様へと変えられることです。
キリストがすべてであり、
「キリストとともに死に、キリストとともに生きる」
ことです。
老年になった私の歩みを思うとき、
年々この心境に近づいているように感じます。
この本を発行するに当たってのわたしの思いです。



ヘンリー・マチス「マチスの礼拝堂」より





2018年7月11日水曜日

ライフデザイン:「燈台」現地活動報告会







浜田文夫現地代表の報告




衰えないテロ活動





校庭外周の塀ができました

立派な正門

子どもたちは1~2時間歩いて通ってきます

先生への感謝デー

小学校低学年は女子が男子を上回る

中高生も女子が頑張っている

小学校はイスラムの学校ではあり得ない男女共学

燈台の学校(ヌール校)で学んだ生徒が今は教師に



校舎内だけでなく、庭も掃除

花壇をつくる





植林しました



エバーグリーン・クワイアー
チャリティコンサート










これまでの救援活動



あなたも行って
その様ようにしなさい。
聖書