2015年2月25日水曜日

ライフデザイン:求めていた人生

この本のタイトル・・・
[あなたが ずっと 求めていた人生]
なんと魅力的ではありませんか!

書店ではじめて見た時
この本が 私を呼んでいました。
「これは あなたのための本ですョ」
と。
事実、この本は私にとって必要な内容でした。

今は2回目
じっくりと少しづつ読み進み
自分のものにしようと取り組んでいます。

キリスト信仰の入門書であると同時に
長年の信仰者には
信仰の恵みの本質を蘇らせてくれます・・・






この本は キリストによって
人生が変えられる物語です。
あなたもそれを体験してみませんか!

その事例を挙げてみましょう
少し長いですがお読みいただければ幸いです。






神様。
どうか私のうちに清い心を造り、
一新して、
揺らぐことのない心にしてください。
詩篇 51:10 


だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、
見よ、
すべてが新しくなりました。 
2コリント 5:17 


だれでも、
真新しい布で、
古い服の継ぎを当てはしません。
そんな継ぎ切れは、服を引き破って、その破れ目はもっとひどくなるからです。
まただれも、
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしません。
そんなことをすれば、
皮袋は裂けて、ぶどう酒は流れ出てしまいますし、皮袋も駄目になってしまいます。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。
そうすれば、両方共持ちます。
マタイ 9:16〜17

ライフデザイン:現代賛美歌を味わう

最近 岩本さんと国分さんご夫婦と知り合いました。
彼らは1996年にキリスト信仰を持って以来
様々な賛美CDを出してきました。
「現代賛美歌」

百年前に作られた賛美歌を 
現代の分かりやすい言葉で賛美しています。
ピアノと透き通った賛美!
あなたも如何ですか?


CDのジャケットから
YouTube で





私はいつも主をほめたたえる。
その賛美は、いつも私の口にある。
詩篇 34:1 

2015年2月14日土曜日

ライフデザイン:バレンタインDAY


妻からチョコレートのプレゼント

チョコレートの包装紙からハートをつくってみました
イタリアのデザインペーパー

感謝!


いつまでも残るものは信仰希望です。
その中で一番すぐれているのはです。
1コリント 13:13


2015年2月11日水曜日

ライフデザイン:日本人40年間の意識変化



NHKは1973年から5年ごとに
「日本人の意識」
調査を行ってきました。
社会や経済、政治、生活などに関する人々の意識を長期的に追跡してきました。
2013年版が公表されているので
興味深い項目をご紹介しましょう。

その前に・・・
この40年間の時代の流れを「経済成長」の観点から表にしてみました
大きな時代の流れが読み取れますね!


編集:星野

日本人40年間の意識変化
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_07/20140701.pdf#search='NHK日本人意識調査'
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_08/20140801.pdf#search='NHK日本人意識調査'

「愛」志向が主流で「正志向」が低迷
日本の豊かさがそうしているのでしょうか?


40年間で変化が大きかった項目
・婚前交渉では「深く愛し合っていれば良い」という項目の
変化は大きいが、この15年間は余り変化はない
・「夫が家事の手伝いをするのは当然」は現在では90%と大多数
高齢者も高いのには驚きます
40年間で変化が小さかった項目・日本は幸せが続いている国なのか?


神様のなさることに目を留め、それに従いなさい。 
自然界の道理を敵に回してはいけません。
順境の時には、できるだけ楽しみなさい。 
逆境が訪れたら、神様は与えると同時に取り上げる方だと知りなさい。 
こうしてすべての人が、
この世ではあらゆるものが空しいと悟るのです。
私(ソロモン王)は、このばかげた人生のすべてを見てきました。 
善人が若死にし、悪人がうんと長生きすることだってあるのです。 
だから、
正しすぎるのも困るし、りこうすぎても困るわけです。 
極端に走って自滅してはいけません。 
一方、
悪人になりすぎるのも問題だし、ばか者になるのも考えものです。 
天寿を全うする前に死んではいけません。
伝道者の書 7:13〜17(リビングバイブル)

ライフデザイン:後藤健二さん−3

http://matome.naver.jp/odai/2142198095939331801?&page=1

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


今、ネットでは・・・
「行くなって言われてんのに行ったのは
自己責任でしょ」
など「自己責任論」が吹き荒れている。

という興味深いサイトを見つけました
結論から言えば
ここまで話題になるのは日本独特のようです・・・
が、
しかし、政治家はよその国でもこう言いたがる傾向があるようですね。
日本では、小泉首相が2003年のイラク人質事件の際、
自己責任論を説いたそうですが。。。
しかし、一方では反論が!

不可解な自己責任論―イラク人質事件をNGOの眼で検証する 環境市民「みどりのニュースレター2004年6月号(133号)」より

http://www.kankyoshimin.org/modules/cef/index.php?content_id=55

幸いにして、武装グループおよびイラク人の多くが、彼らのイラク入りの目的を理解し、彼らは無事解放された。しかし、解放後の彼らに待っていたのは、「国の発した退避勧告を無視する者として自業自得」「自己責任を知らぬ無謀な行為」「救出に国が要した費用を支払わせるべき」などの言葉であり、その重さは、彼らを押しつぶさんばかりである。この問題を看過することは、市民の良心に基づく自発的な活動を否定することになりかねないと思い、今回この問題を採り上げた。市民活動を実践する団体として、この問題に向き合い、意見を発信したい。            (中略)       そもそも「国」とは、個人がそれぞれの幸福の実現のため、権利の一部を国に預け、かつ義務を果たすことで成り立っている。国にはその付託に応える責任がある。今回耳にした「自己責任論」の中には、国の成り立ちそのものを見誤っているものもないだろうか。海外のメディアが奇異に感じているのもそこであり、「お上」といった発想まで見えてしまう。この考えの恐さは、個人または市民層の良心にもとづく自発的な動きを大きく制限しかねないことである。ただし、楽観しているのは、一時高まった「自己責任論」に対して、反論が各所からあがっていることである。「自己責任論」を声高に叫んでいた者は、いずれその狭量を指弾される時がくるだろう。今回拘束された5人のような人たちが、私たちと同じ社会に居たことを誇りに思いたい。  (文/環境市民事務局  堀 孝弘)



このテーマを突き詰めると、政治的な問題議論になってしまうようです。
(私には難しい)

このサイトのまとめによれば…
「自己責任」論は、
海外でも起きてるが、市民が騒いでるという例は、見つからなかった。

いずれも政府(会社)関係者の口から出てきて
中には言いがかりと感じるケースも。




ライフデザイン:後藤健二さん−2

トルコとの国境に近いシリア北部の都市アレッポでの取材風景
(写真:INDEPENDENT PRESS)


後藤健二さんの追悼記事が
「CHRISTIAN TODAY 」誌に
掲載されましたので そのまま転載します

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追悼 
国際ジャーナリスト・後藤健二さん

2015231310
イスラム教過激派組織「イスラム国」が、拘束していた後藤健二さんを殺害したとする映像を公開したことを受け、後藤さんの友人らが立ち上げたフェイスブック上のコミュニティー「I AM KENJI」は、「健二さんは生き続けます。みんなの心のなかに」「あなた(後藤さん)はクリスチャンでしたが、きっとあなたの行動には神の思し召しが働いているのだといつも感じていました。あなたが本当に最後まで、命を掛けてまで伝えたかったのは、人間の愛だと思います」などとコメントした。
後藤さんの殺害を伝える映像が日本時間の1日早朝に公開されたあと、「I AM KENJI」に最初に投稿されたコメントでは、「まだ信じられない思いです。今まで感じたことのない深い絶望とやり場のない憤りを感じています。このようなことは絶対に許されてはなりません」と、悲しみと憤りを表した。一方、「I AM KENJI を通して何万もの方々から健二さんへの連帯の気持ちと祈りが寄せられ、我々も国境を超えたその広がりに、健二さんの大きさ、成し遂げてきたことの素晴らしさを日々感じています」と述べた。
後藤さんについては、「戦争の最中にも人の心に寄り添う優しさと、弱き者を助ける強さを持ち続けていました。憎しみを超えて人と人が分かり合えることを信じていました」と言い、「健二さんは生き続けます。みんなの心のなかに。日々営む仕事のなかに。人と微笑みあうたびに必ず健二さんのあの大きな Big Smile を思い出すでしょう」とつづった。
また、その後に投稿された別のコメントでは、今回の事件でイスラム国の残忍さ、卑劣さを思い知ることになったとしながらも、「しかしその脅しに怯えたり、また逆に殺害した連中を敵視したりしても、そこからは何も生まれてきません。憎悪が憎悪を呼ぶだけで、それこそが『イスラム国』が狙っていることです」と指摘。イスラム国の行為は非難され、罪を償うべきだが、「同時に、これまであなた(後藤さん)が伝えようとしてきたことや、あなたの変わらぬ尊い意志をぼくたちは受け継いでいく必要があります」として、イスラム国のような過激派組織が生まれる根本的な原因を考える必要性を訴えた。
また、後藤さんがクリスチャンであったことについても触れ、「きっとあなたの行動には神の思し召しが働いているのだといつも感じていました。あなたが本当に最後まで、命を掛けてまで伝えたかったのは、人間の愛だと思います。弱い人たちや、虐げられている人たち、苦境に暮らす子供や女性たちへの共感の哲学だと思います」と述べ、最後に「今こそあなたのために心から祈りを捧げたいと思います。世界中の人たちが憎しみ合うのではなく愛し合い、助け合い、そして平和で争のないときが一日も早く訪れることを」と結んだ。


まことに、まことに、あなたがたに告げます。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 
ヨハネの福音書 12章:24節 


ライフデザイン:後藤健二さん−1

(写真:INDEPENDENT PRESS)
 ISIL殺害された後藤健二さん
様々なブログに書かれていて、妻がいろいろ話してくれる。
私も遅ればせながら、サイトを探ってみました。
その中で、昨年5月の「CHRISTIAN TODAY」のインタビュー記事が目に入った。
それをそのままご紹介し、その死を悼みたいと思います。


CHRISTIAN TODAY誌より転載
【インタビュー】
国際ジャーナリスト・後藤健二
~それでも神は私を助けてくださる~
20145301132
混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。日本基督教団田園調布教会の信徒であり、国際ジャーナリストとして活躍する後藤健二さんだ。後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。その様子を、NHKニュースや各ドキュメンタリー番組、テレビ朝日「報道ステーション」、TBS「ニュース23」などを通して伝えている。近年では、主にシリアに出向き、取材を重ねている。
シリアへの出国を翌日に控えた5月27日、後藤さんにインタビューをする機会を得ることができた。柔和な笑顔で出迎えてくれた後藤さんは、「明日、シリアに行ってきます」とどこか楽しい所にでも旅へ行くかのように告げた。今回の取材は、来月3日に控えたシリア大統領選が主な目的だという。「人々の心が乱れ、不安な今だからこそ、日本の人々に訴えたいことがある」とその胸のうちを話してくれた。
「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です。困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」
彼が神の計画のうちに、信仰を持ち、救われたのは、何がきっかけだったのだろうか。きっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。90年代初めの出来事であった。
すでに、国際ジャーナリストとして駆け出していた彼は、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。紛争地に出向くときは、ほとんど一人で飛行機に乗り、現地で通訳やドライバーなどとチームを組む。しかし、日本から一人で危険地帯に出向き、そこで死を迎えるようなことがあれば・・・。
「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。
受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を目の当たりにしてきた。当時、混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。どこに泊まるのか、通訳はどうするのか――何もかも決まっていない状況だったが、彼らがすべてを手配してくれた。初めて会った若き日本人ジャーナリストに。
「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」
シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。
最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」
柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。何者かに全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さなのではないかと感じた。人々の心に寄り添った彼のシリアからの言葉に、祈りをもってこれからも耳を傾けていきたい。