2015年2月11日水曜日

ライフデザイン:後藤健二さん−3

http://matome.naver.jp/odai/2142198095939331801?&page=1

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今、ネットでは・・・
「行くなって言われてんのに行ったのは
自己責任でしょ」
など「自己責任論」が吹き荒れている。

という興味深いサイトを見つけました
結論から言えば
ここまで話題になるのは日本独特のようです・・・
が、
しかし、政治家はよその国でもこう言いたがる傾向があるようですね。
日本では、小泉首相が2003年のイラク人質事件の際、
自己責任論を説いたそうですが。。。
しかし、一方では反論が!

不可解な自己責任論―イラク人質事件をNGOの眼で検証する 環境市民「みどりのニュースレター2004年6月号(133号)」より

http://www.kankyoshimin.org/modules/cef/index.php?content_id=55

幸いにして、武装グループおよびイラク人の多くが、彼らのイラク入りの目的を理解し、彼らは無事解放された。しかし、解放後の彼らに待っていたのは、「国の発した退避勧告を無視する者として自業自得」「自己責任を知らぬ無謀な行為」「救出に国が要した費用を支払わせるべき」などの言葉であり、その重さは、彼らを押しつぶさんばかりである。この問題を看過することは、市民の良心に基づく自発的な活動を否定することになりかねないと思い、今回この問題を採り上げた。市民活動を実践する団体として、この問題に向き合い、意見を発信したい。            (中略)       そもそも「国」とは、個人がそれぞれの幸福の実現のため、権利の一部を国に預け、かつ義務を果たすことで成り立っている。国にはその付託に応える責任がある。今回耳にした「自己責任論」の中には、国の成り立ちそのものを見誤っているものもないだろうか。海外のメディアが奇異に感じているのもそこであり、「お上」といった発想まで見えてしまう。この考えの恐さは、個人または市民層の良心にもとづく自発的な動きを大きく制限しかねないことである。ただし、楽観しているのは、一時高まった「自己責任論」に対して、反論が各所からあがっていることである。「自己責任論」を声高に叫んでいた者は、いずれその狭量を指弾される時がくるだろう。今回拘束された5人のような人たちが、私たちと同じ社会に居たことを誇りに思いたい。  (文/環境市民事務局  堀 孝弘)



このテーマを突き詰めると、政治的な問題議論になってしまうようです。
(私には難しい)

このサイトのまとめによれば…
「自己責任」論は、
海外でも起きてるが、市民が騒いでるという例は、見つからなかった。

いずれも政府(会社)関係者の口から出てきて
中には言いがかりと感じるケースも。




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