2018年10月19日金曜日

ライフデザイン:チョコレートの文化史

わが家のチョコレート

昨今
チョコレート

健康に良い
(ポリフェノールや油脂が含まれている発酵食品)
ということで
わが家も毎日少量味わっていますが・・・

歴史的にカカオ豆
紀元前2世紀〜紀元後2世紀に
原産国の中米に登場したとの記録があります。
当時は
飲み物であると同時に薬品でもあり貨幣ともなりました。

ヨーロッパに到来したとき
貴族のための健康食品でもあった訳ですが・・・
飲み物か医薬品かと宗教的な激論が交わされたそうです。



《カカオは神々への供物として献げたれた》



1521年に
アステカ帝国が滅び
スペインの植民地となります。
と同時に
ココア飲料は現地の庶民の嗜好品になっていき、
次第にヨーロッパにも伝えられていきます。



16世紀⇒17世紀
メキシコでココアを飲む習慣が流行
生産地は中南米全体に広がり
そしてヨーロッパへ


《19世紀の三角貿易》
奴隷貿易の廃止は
イギリス:1807年
フランス:1848年
オランダ:1863年


生産地は
19世紀になると
アフリカも名乗りを挙げ
ココア豆の生産は
現代では 赤道近辺のほぼ世界中に広がっています。




そして・・・

ようやく
ココアパウダーや固形チョコレート
がヨーロッパで発明され
商品化されて
爆発的に普及していったのです。



ヨーロッパでのカカオの普及
ココアの導入ルート
①スペイン・ポルトガル・イタリア・フランス
南ヨーロッパ・ルート
〜カトリックの信仰的問い、
薬品か食品かでの議論の後に
健康食品と認められ王侯貴族に飲用された。









②オランダ・イギリス等の
北西ヨーロッパ・ルート
〜プロテスタントでは食品として
近代的な加工技術が開発されていった。

最初に登場するのは
オランダのヴァン・ホーテン社
私たちが今もスーパーで買える
ヴァン・ホーテン ココア
です。





ヴァン・ホーテン社
1828年
細かい粒子状のココアパウダーを生産する特許を取り
ここに美味しいココアが誕生したのです。


イギリスでは
コーヒーハウス
「コーヒー」や「茶」等と共に
「ココア」が提供されました。

《コーヒーハウスは1605年に初めてオックスフォードに登場した》


固形ココア=チョコレート
1847年
イギリスで発明されました。
産業革命で忙しい時代なのに
ココアを加工するのも食べるのも時間が掛かる
だから
固めてしまえ!



フライ家はブリストルで薬局を経営していましたが
1750年代に
薬品としてのココア製造をはじめました。
19世紀前半にフライ薬局を経営していた
博士号を持っていたジョーゼフ・フライは、
カカオマスにココアバターを加えることによって
カカオマスの成分を変えることを考え出したのです。

かつてヴァン・ホーテンが
1828年に
カカオマスから脂肪分を取り出す技術を発明したのに対して
ジョーゼフ・フライのアイデアは
1847年
ヴァン・ホーテンのやり方と反対に
搾取していないカカオマスに
さらにココアバターを加えることでした。
これにより
多くの砂糖を溶かし込むことが可能になり
苦みが低減したのです。

よくかき混ぜて練り上げると
なめらかな舌ざわりで
甘くて風味の良い
固形物になりました。
チョコレート
の誕生です。

  

とはいえ・・・
チョコレートはまだまだ未熟な商品だったので、
19世紀は
ココアパウダーの改良時代でした。
1861年頃
イギリスには30ほどのココア製造業者がありました。
その内
イギリスを代表するココア・チョコレートメーカーは
  以下の3社で、この御三家は皆クエーカー教徒でした。
〜クエーカーはイギリス発祥のプロテスタントの一宗派で、
「宗教的な生活規制が事業精神の高度な発達と結合している」
と社会学者のマックス・ウェーバーが称賛している
〜奴隷貿易廃止運動を18世紀からはじめ、19世紀になって奴隷制廃止を実現しました


       ◎フライ社  [イギリス西部のブリストル市]
       ◎キャドバリー社   [イングランド中部のバーギンガム市]
       ◎ロウントリー社   [イングランド北部のヨーク市]
          









とにかく
ココアとチョコレートはイギリス人の間に瞬く間に広まりました。

その理由の一つは・・・
産業革命で増えた労働者のエネルギー補給に適していたからです。
当時の労働者のエネルギー補給には
アルコールが一般的だったので
それに代わるココアやチョコレートは・・・
健康的にも社会的にも良い貢献をしました。

簡単に食べられて、しかも栄養豊富!
戦時中の兵士の携行品としても重宝されました。
イギリス人は、今も甘い物好きです。





19世紀後半
ミルクチョコレート
が牧畜が盛んなスイスで誕生。
折しも
アフリカガーナ産
フォラステロ種のカカオ豆が増産され使われました。





思い出の
イギリスのチョコレート
日本で見つけました!




日本
ココアとチョコレート


1797年
に最初のチョコレートが
長崎の出島で紹介された、という記録があります。
(出典:日本チョコレート・ココア協会)


1878年
初めてチョコレートが
数社の業者によって製造・販売されました。
原料のチョコレートを輸入し加工して販売したと記録にあります。


カカオからチョコレートを一貫製造にはじめて取り組んだのは
森永製菓です。



東京田町に工場を建設し、
アメリカから製造用機械を輸入し、アメリカ人の技術者を招聘して
1918年

製造販売をはじめました。

森永 太一郎が製造を担当し、松崎半三郎が営業を担当しました
森永太一郎は、クリスチャンでリタイア後は牧師になりました

1918年(大正7年)

1919年



1926年
明治製菓
ドイツから製造機械を購入し
カカオからチョコレートの一貫製造をはじめました。


創業者:相沢伴治
企業理念:話題を提供し、夢と楽しさを提供し続ける企業

下が初代のパッケージ


最近の日本のチョコレートは
国際的にも好評を受けるまでになりました。

MEIJI THE CHOCOLATE











イギリス人
が生み出した
チョコレート菓子の傑作!

1935年9月
キットカット
がデビュー!
発売当初の商品名は
チョコレート・クリスプ
イギリスのロウントリー社の商品です。


現在のKit Kat




ネーミングが素晴らしい!
「Kit Kat」 と覚えやすく歯切れが良い。
四本の「みぞ」があるので
折って、口に放り込むのに都合が良い。





「男性がランチパックに入れて職場に持って行けるように
という従業員からの提案で実現した」
とWikipedia にあります。



Wikipediaより




1940年代になって
イギリスで成功を収め、海外に輸出を開始。





青の時代
青色のパッケージ

Wikipediaより 



第二次世界大戦中に発売された「キットカット」
統制食品として原材料が制限されたころの商品。
ラッピングペーパーに書き込まれた
peace-time
は「戦争が終わったら本来のキットカットをお食べ下さい」という
平和な時代への想いが込められていました。

戦争中はイギリス人兵士に支給されましたが
熱帯でも融けない+ビタミン入りの商品として開発され
兵士たちの体力維持に貢献したということです。



1958年から
「Have a Break, Have a Kit Kat」
というキャチフレーズを広告に展開
現在も使われています。




最近のキットカット







アメリカでは、1970年に「ハーシーズ」と
日本では、1973年「不二屋」と提携して生産と販売を開始しました。

1988年6月
ロウントリー社は
ネスレ社
[本社はスイス]
に買収されました。







そろそろ
結論


チョコレートを最も食べているのは
ルーマニア人+ドイツ人+イギリス人



日本人
は20位
ルーマニア人は日本人の7倍食べています。




日本のチョコレートに関わる物語





カカオの製造プロセス


カカオ豆の生産地と生産量


出典:外務省ホームページ



参考図書

著者:武田 尚子  中央公論新社刊
《図版の殆どはこの本によります》














あなたのみことばは、
私の上あごに、なんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。
詩編119:103







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