2012年8月18日土曜日

ライフデザイン:人生の不思議-2

ウィンストン・チャーチルを救ったペニシリンの発見者から学ぶ
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サー・アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming, 1881年 - 1955年)は
イギリスの細菌学者である。
抗菌物質リゾチーム(lysozyme)と、アオカビ(Penicillium notatum)から見出した
世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。

アレキサンダー・フレミング

フレミングは、スコットランドのエアシャー地方、ロッホフィールド(Lochfield)の農場で生まれ、そしてキルマーノック(Kilmarnock)のリージェント工芸学校で2年間教育を受けた。彼は、商船会社に4年間勤めた後に、1906年ロンドン大学のセント・メアリーズ病院医学校の接種部に、A・E・ライトの助手として入った。この年に医学博士になっている。

世界最初の抗生物質として有名なペニシリンもまた偶然から見つかった。
フレミングの実験室はいつも雑然としていて、その事が彼の発見のきっかけになったようである。
それは1928年に、彼が実験室に散乱していた片手間の実験結果を整理していた時のことである。廃棄する前に培地を観察した彼は、黄色ブドウ球菌が一面に生えた培地にコンタミネーションしているカビのコロニーに気付いた。ペトリ皿上の細菌のコロニーがカビの周囲だけが透明で、細菌の生育が阻止されていることを見つけ出した。
このことにヒントを得て、彼はアオカビを液体培地に培養し、その培養液をろ過したろ液に、この抗菌物質が含まれていることを見出し、アオカビの属名であるPenicilliumにちなんで、"ペニシリン"と名付けた。

フレミング自身はペニシリンの精製には成功しなかった。
しかし、ペニシリンが発見されてから既に十年が経った1940年、彼の報文を読んだ二人の科学者、オーストリア人のハワード・フローリーとオックスフォードのグループを指揮していたエルンスト・ボリス・チェーンがペニシリンを精製し効果的な製剤にする方法の開発に成功した。
彼らの研究により、第二次世界大戦中には、ペニシリンは薬剤として大量生産できるようになった。
彼のペニシリンの発見は近代医薬を変革させ、有効な抗生物質の時代をもたらした。

第二次世界大戦中のペニシリンの広告(Wikipediaより) 
1955年
フレミングはロンドンの自宅で心臓発作により死去した。
彼は国家の英雄としてロンドンのセント・ポール大聖堂に埋葬された。
(文はWikipediaより転載)

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この物語から
人生には飽くなき『探求心が大切に思います。
そうすると・・・
「偶然」という「神の手助け」が与えられ、
また、「協力者」も不思議に与えられるのですね。



正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。
旧約聖書 箴言 21:21 

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