2018年5月14日月曜日

ライフデザイン:羽鳥明師のメッセージ−Ⅲ

 昨年(2017年)4月10日
に96歳で天に帰られた羽鳥 明牧師のショートメッセージの
第3章をご紹介します





羽鳥 明 師
ショートメッセージ Ⅲ



目標に向かって

私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。
空を打つような拳闘もしてはいません
(コリント人への手紙第一9・26

ウサギの運動会を見たことがありました。
「ウサギとカメ」のお話の中でも
ウサギは優秀なランナーのはずなのに、
出場したウサギが、みんなてんでんばらばらの方向に走り出したのには、
腹を抱えて笑いました。

しかし考えてみると、
私たち人間にウサギを笑う資格があるでしょうか。
人生最大の問題は、
何のために生きるのか、人生の目標を知らないということです。
受験生は入試のための勉強という目標を持っています。
サラリーマンは今日しなければならない仕事の目標は知っています。
しかし、人生究極の目標を知らないのです。

アメリカでトップクラスの大学を、
素晴らしい成績で卒業した若者に、雑誌記者がインタビューしました。
「将来どうなさいますか?」
「幸い、一流会社に入りましたから、
早く出世して、高給取りになりますよ」
「それから?」
「あんまり年とってまで働かず、適当なところで隠退して、
世界旅行や釣りを楽しみます」
「それから?」
「うるさいなあ。多分、死ぬんだろうよ」

日本では毎年自殺者が増加しています。その原因のトップ4は
I、生きる目的がわからない
2、生きがいがない
3、愛されていない
4、さびしい
だそうです。
つまり、「人生の目標」が分らないってことなのですね。




人生に目標はある

ある人々は、
「人間なんて、食っちや寝、食っちや寝、そして死んでいく。
目的なんかあるものか」
と言います。
ある人々は、
「人生の目的、それは死んでみなけりやわからない」
と言います。

またある人々は、
「一日一日、生きていく、それが人生さ」と言います。
しかし、
パウロには、はっきり決勝点、栄光に満ちた目標が見えていました。
まっしぐらに、あらゆる苦難の中にも、
希望と力に満ちた、生きがいある人生を送っていたのです。

私も16歳の時、
「我に神なし仏なし」といった虚しい心境の、
人生の目的を見い出すことのでき
ない、さびしい少年だったのです。
しかし、
私か神を、イエス・キリストを見い出した時、
私にもはっきり、「人生の決勝点」「人生の目標」が見え出したのです。
それは人生の革命でした。
考えてみてください。
この小さな私の腕にある時計。
安物ですが、
小さな小さな宝石のかけらが、たいせつな軸受けとしてはめ込まれています。
私たちは小さく弱く、くだらないもののようにみえても、
神様が、
神様のいのちを吹きこみ、
世界にたったひとつだけの自由で独立独歩のたましいとして
お造りくださったのです。
時計の宝石が、
時計からころげ出し、暗闇とほこりの中にある限り、
どんなに立派なものでも「無意味」です。

しかし、
時計の中の自分の場所にあれば、素晴らしい役割を果たします。
私たちも、
ひとりひとりが神の愛のふところに戻るとき、
私たちでなければできない、
神を喜ばせ、
神を喜び、人を喜ぶ、人生の目的がはっきりわかるのです。



    目標を見い出そう


人生を見い出すために、
三つの原則があります。

第一に、
人生の目的を探し求めるということです。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイの福音書7章7節)
あきらめてはなりません。



第二に、
遠くを見つめ、永遠を尺度にするということです。
私か犬に、遠くにあるおいしい肉片を指さして教えてあげても、
その犬は、私の指先ばかり見ていて、
ついに遠くにあるごちそうを見つけることができませんでした。
「私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」
(コリント人への手紙第二 4章18節

第三に、
はかない明日ばかりをあてにしないで、「今日」という日を大切にすることです。
いつかいつかということでなく、
今日、
神の救いの手の中に飛びこむ決断、今を大切にすることです。

「今は恵みの時、今は救いの日です」
(コリント人への手紙第二 6章2節)
       



決勝点は、はるか彼方です。
がんばって、忍耐強く前進することが大切です。
ここにも三つの法則
があります。

第一に、
第一のものを第一にすること。
目的のために、いらないものを切り捨てることです。
スポー
ツ選手が世界的な試合に出るのに、
競技の集中を妨げるものを持って出かけることはありません。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」
(マタイの福音書 6章33節)

第二に、

規則通りに人生の道を走ることです。
陸上競技では、トラックを横切って決勝点に走って行けば、
いちばん早く着くことにはなりましょう。
しかし、それではだめなのです。
人生の目標に向かって走るのに、近道や抜け道はありません。
罪赦され、罪きよめられ、
神のコースに従って正しく走らなければなりません。
「競技をするときも、
規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません」
(テモテヘの手紙第二 2章5節)

第三に、
忍耐と労苦の原則です。
米一粒作るのに88手開かかかるのです。
愛の祈り、涙のとりなし  
そして結実。
「労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです」
(テモテヘの手紙第二 2章6節)

しかし、忘れないでください。
イエス様はいつも一緒にいてくださるのです。
「見よ。
わたしは、世の終りまで、いつも、あなががたとともにいます」
(マタイの福音書 28章20節

















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